コラム

ホーム > インターネット講座

インターネット講座

バックナンバー

教授、准教授、講師による大学講座です。インターネットを通してそれぞれの各専門分野に触れることが出来ます。学び知る楽しみをお届け致します。あわせて大学の授業の雰囲気もわずかですが知って頂けることと思います。

 
第6回 『コミュニケーションの本質を問う-学生の意見からの考察』
1 現代社会とコミュニケーション

藤原 亮一 元本学教授 私は人間と社会について勉強をしている。かれこれ25年以上になるが、まだ興味は尽きない。社会学、心理学、ときには歴史学の助けを借りて、どうにか目の前の人間を理解したつもりになる。しかし、理解した頃には新らしい人間が社会にあふれ、知識の更新が必要になる。社会は常に変化している。現代社会はそのスピードがとくに速い。その変化の最たるものは情報化現象である。現代社会の代名詞を情報化の社会といっても過言ではない。以下は、私が別の場所に書いた文の抜粋である。

 マルチメディア化が進み、ネットワークでの人々のつながりが拡大する高度情報化社会。ケータイやパソコン、そしてインターネットの存在が当たり前の時代に生まれた人間にとって、メディアを通じて知識や情報を得ること、そして他者とのかかわりを持つことはまったく自然なことである。人間関係に限定して考えるならば、ネット上でのお付き合いには、直接的な出会いが必要とされない。だからこそ、さまざまな自分を演じ分けることができる世界が無限に広がる。そして、複数を相手にしたマルチなお付き合いも可能。時間に制約されること無く、いつでも気が向いたときにかかわれば良いし、嫌なら交信を切ればすむ。(「劇場化社会における自己」『環太平洋・アイヌ文化研究』 第5号 2006年 5ページより)

 コミュニケーションの新しい可能性が、この現代社会においては開かれていることを私は示唆した。それでは、現代に生きる人間は、その素晴らしさをどのように感じているのか。
 社会学を学んでいる19歳から20歳の学生100名ほどに聞いた。質問「あなたは幸せを実感できますか?」「個人のプライバシー」、「そんなこと考えたことが無い」、などの理由から回答を拒む者もいた。しかし、多くの諸君が真面目に応えてくれた。さて皆さん、この回答を手がかりに講座のテーマを考えてみよう。
 現代という時代は「豊かさ」と「自由」がキーワード。この二つを悪いことと、真っ向から否定する者はいない。しかし、モノの豊かさの陰に見え隠れする心の貧しさ、自由の名の下に進行する管理化と個性の軽視は、必ずしも、「豊かさ」と「自由」が、現代人の幸せの代名詞で無いことを指摘する回答も多かった。
 社会の豊かさは、個人の幸せのモノサシにはならない。目標を達成するために効率を重視し、価値観の上位に合理性をかかげる現代社会。「自由」は、「豊かさ」を実現するための手段になっている、と断じる者も複数いた。なかなか鋭い考察である。
 豊かな社会のマイナス要因について触れた回答例として、以下の三つを紹介する。

A 「田舎のご近所さん付き合い的な関係。帰ってきたの?元気だった?幸せは、人とのこうしたつながり。」
B 「ケータイが無い時代が良かった。顔が見えないメールの連絡は薄い付き合い。人と人の(直接の)ぶつかりあい、ぬくもり、つながりが大切。」
C 「実習先で見た入居者の幸せ。食事、風呂、レク(リエーション)が楽しみ。これって小さなコツコツの幸せ。大きな幸せではなく、このコツコツを感じつづけて、人生楽しかったと思うのが幸せ。昔はこうであったか。昔の人がいて、いまの私たちがいる。」

  これらの回答は、今より昔、つまり、ムラ的な人間関係があった時代、ケータイの無かった時代、毎日がつつましい生活の時代の中に幸せを見ていると言える。豊かな社会を全否定はしてはいない。しかし、幸せの実感を現代社会が薄れさせているのではないかという考察。当たり前のことにこそ幸せがあり、小さなことでも心満たされる幸せがあることに気づいたCさんは、人のつながりが目の前の人々だけでなく、過去のさまざまな人間との間にもあることを指摘してくれた。
2 幸せはコミュニケーションから

 続いての回答は、人間のコミュニケーションを考える上の貴重な資料である。結論から言えば、この種の考察が一番多かったのであるが、大切な人、家族、友人、あるいは恋人とのかかわりを幸せと感じている。さて、あなたの実感と重なるだろうか

D 「大切な人たちと一緒に居ること。」
E 「家族があり、帰る場所があること。」
F 「友達としゃべっているとき。家族とはなしているとき。周りに人がいるとき。」
G 「人とかかわること。誰かがそばにいると明るくなれる。」
H 「人とのふれあい。職場でのふれあい。」
I 「心がみたされること。恋愛や仕事などで。」

 恋愛が進行中のDさんは、恋人を「大切な人」の筆頭にあげていたが、友人や家族も大切な人とする。Eさんはアパートで一人暮らし。親や兄弟と離れて生活する中で、自分の居場所が家族の中にあることの幸せを再発見したようだ。Fさん、Gさんは、誰かといると喧嘩をしたりわずらわしいこともあるが、自分が不安になったり落ち込んでいるときに、人がそばにいると安心すると言う。また、Hさんは人と触れ合えることが幸せであり、そういう仕事につくことが幸せとする。Iさんは、心満たされることが幸せだという。先の4人が指摘するような人間関係があれば、心が満たされるということかも知れない。
 恋をして幸せ、という答えは男女を問わず他にもあった。みなさんはどうでしょう。最近、恋愛をしていますか。人とのかかわりから得られる喜びは、血縁のあるなしには無関係。大切だと思い、思われるような人とのかかわりを持てたとき、人は幸せを感じるものなのかも知れない。家族や友達の大切さについては、次のような回答もあった。

J 「親が言葉を教えてくれたこと。人と会話できるようにしてくれた。そのおかげで、さまざまな人たちと触れ合える。」
K 「人とのつきあい。家族、友達、仲間がいて幸せ。幸せという言葉と、人間関係は切っても切れない。」

 Jさんは、自分の幼児期の両親への感謝を示す。優しい言葉かけ、絵本などを読み聞かせてもらう体験を重ね、Jさんは他人への信頼感を持てるようになったこと。幸せの感覚は、人間関係から生まれることをJさんは指摘する。Kさんも同じように考えている。そして、幸せと人間関係は切っても切れないことの実感を述べる。
 人とのかかわりと幸せの関係を、別の言葉で表現している回答がある。「助け合うこと」、「支えあうこと」がキーワードのようだ。とくにNさんは、「かかわりで認められる」ことの幸せ感覚を示唆。現代に生きる人間は、これを実感しにくいことも語っている。また、Oさんの回答は、一人で生きていくことの不幸を示唆している。都市社会に生きる現代人の特徴をあげ、他者とのかかわりを避け、匿名性の中で生きることを問題視、どのようにしたらより多くの人が幸せを実感できるのか試論を示している。4人の意見を、あなたはどう考えますか。

L 「健康にうんでくれ、何不自由なく暮らせる。のびのび生きている。支えてくれる家族、友人がいること。」
M 「人は、なんらかの人の支えがあって幸せ。」
N 「お互いに話せて、助け合うこと。かかわりで認められて人は幸せ。友達がいて、一緒に何かをして当たり前、これが幸せということを忘れている。」
O 「人は一人では生きていけない。出会いと別れの繰り返しで生きていく。地域でいろいろな人と話せる環境をつくり、高齢者の話を子供が聞けるなど、さまざまな経験が異なる人の話を聞く(のが幸せ)。仕事の休みに子供と一緒にすごしてあげる。」
3 本質はつながりたい欲求

 支えあう人、助け合う人の心のあり方を考察した回答もあった。他人を自分のことのように愛し、人の幸せを自分のことのように願えることこそ幸せという考察である。Rさんは「いっしゅんを大切に生きる」ことが幸せとも述べる。この一瞬の幸せとは、他者の心を思い、幸せを願う気持ち、そしてそれが相手に通じたことから得られる幸福の実感であろうか。こうした考えに共感できますか。

P 「親や教師がしかるのは、相手のために幸せを願ってしかる。他人の幸せを心から願い尽くせる人が本当の幸せ。」
Q 「自分が相手に対して、相手が自分に対して、自分のことのように真剣に考える。気持ち、心でかかわりあうのが幸せ。」
R 「一瞬、いっしゅんを大切に生きることが幸せ。人を愛せる人が何よりも幸せ。人の幸せを考えられるとき、人は幸せになれる。」

 このあたりで回答例の紹介を終える。さて、ここであえて言わせてもらうが、私は決して学生諸君とヤラセを仕組んではいない。また、クラスでの誘導もいっさいしていない。つまり、回答にたいして影響を与えるような言動は謹んでいた。
 人は幸せを希求する。求めるものは人との「つながり」にあり、それがコミュニケーションの本質であること。人とつながっていること、そして、その実感が幸せにもつながっていることを、私の学生は見事に言い当ててくれた。

 メディア本来の機能は、人と人を結ぶコミュニケーションの道具としての役割である、、、しかし、メディアの向こうに生きた人間を想定させない、あるいは、無くてはならない存在として捉える感覚を失わせる状況をメディアが作り出すのであれば、それはメディアの死を意味する。さらに言えば、相手の不在へのいかなる働きかけも、コミュニケーション行動の定義には当たらない。コミュニケーションとは、人間が人間を相手としてかかわり、互いに何かを伝え合い理解にいたる行為である。逆に言えば、人間行動の本旨はコミュニケーションにある。(前出論文)

 情報化の進む現代社会は、都市化、管理化、脱産業化にともない、ますます人と人との関わりかた、行動のしかたに変化が生じるであろう。コミュニケーションも人間行動の一つであり、膨大な量の知識や情報の伝達を可能としたコンピューターやネットの発達・利用が、コミュニケーションと同義語になったとしても不思議ではない。しかし、ケータイもマルチメディアも無かった時代にも人々は生きていた。文字を持たない人々は、音や声、身体を用いて互いの考え、気持ちを伝え、そこに悲しみや笑いの共有が起こった。人と人がつながる。
 共に考え、行動し、喜びを分かち合う。触れ合いたい、感じていたい。そこには、自分を必要とする相手がいて、自分が相手を必要とする空間がある。社会福祉分野のカリスマ、袖山卓也の被援助者との交歓、井上陽水と奥田民生の歌う『ありがとう』の感謝。幸せの原型がそこにあり、人間のコミュニケーションの本質もそこにある。(了)
■プロフィール
藤原 亮一(ふじわら りょういち) 元本学教授
▼経歴
1959年 東京都小平市出身
苫小牧駒澤大学 教授 学生サポートセンター長
社会学博士(Ph.D.)
ピッツバーグ大学大学院(University of Pittuburgh,USA)
博士課程修了 Ph.D.
道都大学社会福祉学部専任講師、助教授を経て現職
ニューポート大学・大学院 行動科学部日本校兼任教授
慶応義塾福澤研究センター客員所員
苫小牧市社会福祉協議会評議員
苫小牧市勤労少年センター運営委員会委員
 

苫小牧駒澤大学 国際文化学部

フリーダイヤル 0120-57-1504

TEL: 0144-61-3111(代表)
FAX: 0144-61-3333

上へ移動↑