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第1回チベット仏教文化へのプロローグ
【はじめに】
小林 守 文学博士・仏教学教授 インド亜大陸の北にエベレストをはじめとする8000m級の山々の連なるヒマラヤ山脈が屹立し南アジア世界と内陸アジア世界を分断している。
 そのヒマラヤを越えた内陸部の高原地域が「チベット」である。中国から見るならそれは西域にあたり、シルクロード沿いの祁連山脈ないし崑崙山脈の南側に位置する。ここが歴史的にチベット文化の展開した舞台である。こうした地理的な位置関係のゆえに、昔からチベットは東の中国と南のインドから、文化的にも政治的にも大きな影響を受けてきた。チベット文化というものを一言でいうなら、「南のインド文化と東の中国文化から影響を受けながら仏教を中心にして展開した独自の文化」と定義できる。
 あるチベット学者は日本人のいだくチベットのイメージに関連して、「辺境、後進、密教、神秘といったイメージが強く、中国文化、インド文化と並んで、アジアを代表する文化の一つであるという認識がない」と言われる。いったい、チベット文化が「中国文化、インド文化と並ぶ文化」とまで言えるかは、学者の意見の分かれるところだろう。しかしながら過去の歴史のなかでチベットの文化は周辺諸民族や、とりわけ北アジアのモンゴル人に大きな影響を及ぼしてきた。その点でチベット文化が「アジアを代表する文化の一つ」であるのは間違いない。そしてその文化は言うまでもなく仏教を基調とする文化である。
【チベット仏教の特色】
 チベットの仏教は別名で「喇嘛教」とも言われる。これは、他の地域の仏教と比較するなら、チベットの仏教が「ラマ(喇嘛、師匠)」を尊崇して師資相承を重んずる傾向が強く、又ダライラマやパンチェンラマ等の活仏への信仰が顕著であることに基づいて、チベット人以外の中国人や西洋人のつけた呼び名である。
「ラマ教」という名称はチベット仏教の一つの特徴を表していて必ずしも見当違いの呼称ではないが、しかしそれは「仏教とは別のなにか妖しげな宗教」という印象をあたえかねない。今日研究者レヴェルでは「ラマ教」という術語は使わないことになっている。「中国仏教」「日本仏教」と同じように「チベット仏教」と呼ぶのが一般的である。
 さて、今日のチベット仏教は、もっぱら八世紀以降のインド後期仏教を受容しそれがチベット流に変容展開したものである。インド仏教は、大別するといわゆる小乗仏教と大乗仏教に分けられる。大乗仏教はさらに顕教と密教に分けられる。七、八世紀以降、インドでは、顕教の分野では例えば論理学や認識論という難解な学問が緻密に研究され、又密教の分野では、『大日経』『金剛頂経』以後に、中国、日本には伝わらなかった発達した密教が展開した。これらのインド仏教の二つの側面が当時文化水準の低かったチベットにそっくり流れ込み、それがチベット古来の宗教とも習合しながらチベット独特の仏教を生み出していった。それは、一方では僧院のなかで綿密に組織されたカリキュラムにしたがって論理的に仏教教理を研究する顕教的側面と、他方では実践的な儀礼を重視する密教的側面が不離に連繋したかたちの仏教である。
 チベット仏教というと、一般に曼茶羅や父母仏に代表される神秘的な密教が連想されがちである。現代においてアメリカや、ヨーロッパ、そして日本などでチベット仏教が注目されるのも、その大きな理由は「チベット仏教のもつ神秘性」に惹かれるからかと思われる。しかしチベットの僧侶、とくにダライラマ政権を樹立したチベット仏教最大宗派のゲルク派は、顕教の学習に非常な力を入れている。総じてチベットの僧院は、初歩的な読み書きから高度な仏教哲学まで教える総合教育機関の役割をはたしてきたと言える。
 もっとも、密教的儀礼がチベット民衆を仏教に引き付ける役割を果たしたのは、たしかである。密教の最終的な目的は「仏に成る」ことにあるが、しかし密教には息災、招福などの現世利益をもたらす儀礼も準備されている。「密教による現世利益」これがチベットに仏教を定着させた大きな理由の一つであろう。
【チベット仏教文化の総合性】
 密教がチベット仏教において重要な位置を占めるのは間違いない。しかし密教の役割を強調しすぎると一面的な理解に陥りかねない。ここでは、「仏教文化のもつ総合性」という別の角度からチベット仏教の特色を考えてみたい。
 インド以来の仏教の伝統に、「五明」という学問の枠組みがある。これは、菩薩が修行を重ねて最終的に一切智者のレヴェルに達するまでに修めるべき五つの学問分野で、一般につぎの五つがあげられる。
工巧明:工芸、美術、天文暦学。
医方明:薬学、医学。
声明:文法学、言語学。
因明:論理学。
内明:仏教学。
 西蔵大蔵経(チベット語訳大蔵経)は、チベット仏教の所依の聖典を集成した一大叢書で、その大部分は仏教学のテキストが占める。しかし上記の五明の分類によれば、専ら人の内面的な心を扱うゆえに「内明」と言われる仏教学は、五分野のなかの一つにすぎない。
 五明のうち始めの四つは世俗の学問でそれに関連したテキストも西蔵大蔵経に収録されている。世俗的な学問であるにもかかわらずその学習が重視されたのは、「菩薩はある時は医術により人々を益して導く」「ある時は仏師絵師であり仏像を彫ったり仏画を画いたりして人々を導く」「ある時は異国の人や方言を話す人に不自由なく説法するために文法学や言語学に通じていなければならない」「ある時は異教徒を論破して仏教に改宗させるためには論理学にも通じていなければならない」という理由による。
 五明すべてに一人の僧が通暁し実践するのは、実際には困難なことだろう。
 ただ、こうした五明の伝統は今もチベットに根強く生きている。現代でもチベット人は例えばお葬式の日取りは、天文暦学に通じた人に占ってもらい、病気になれば伝統的なチベット医学の先生に診てもらいチベットの薬を処方してもらっているのだ。
 チベットでは古代から中世にかけて仏教を受け容れそれが定着していった。その理由は、より広くみるなら、チベット人はこうした「仏教のもつ文化としての総合性」に関心をもったからではないか。しばしば、「チベット人の生活の隅々まで仏教が浸透している」と言われる。それも、一つの総合文化として仏教を採用した結果とみることができる。チベット周辺の諸民族やモンゴル人がチベット仏教を採用したのも、それの宗教性もしくは神秘性に惹かれたというばかりでなく、むしろその文化的総合性をもって蒙昧な民衆を教化してゆくことを目的としたからだろう。この点、現代の教養ある欧米人や日本人のチベット仏教への関心のもち方とは異なっているだろう。
 中国にも仏教は紀元一世紀には伝わり、二世紀後半に仏典の翻訳(漢訳、中国語訳)も始まった。しかし当時から漢民族の文化は高いレヴェルにあった。すでに漢民族は独自の天文暦学、薬学医学をもっていたのだ。よって、中国では仏教を「総合文化」として受け入れる必要はなかった。こうした素地となる文化レヴェルの違いからチベットにおいて仏教は中国とも異なったかたちで受容展開したのである。
■プロフィール
小林 守(こばやし まもる)  [文学博士・仏教学教授]
▼経歴
1956年:埼玉県出身
1979年:東北大学文学部卒業
1986年:東北大学大学院退学、東北大学非常勤講師
1992年:インド・ベナレス高等チベット学中央研究所留学
1997年:日本印度学仏教学会賞
1998年:苫小牧駒澤大学助教授
2002年:同大学教授、文学博士(東北大学)
2003年:苫小牧駒澤大学図書館・情報センター長、京都大学大学院非常勤講師

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