読書雑感

このコラムは、企業経営者、団体のリーダーなどの方々にご登場をいただき、読書を基本軸に仕事や生活、文化、芸術、経済、哲学、を語って頂くコラムです。
第1回目の、札幌駅地下街開発(株)※APIA 代表取締役の瀬戸社長に続き第2回目は、元・裁判官佐藤学さんのコラム。人は失敗から多くを学ぶのです。
じっくりお楽しみください。
次回は、トヨタ自動車北海道(株)副社長石橋さんのコラムを予定しています。

■第2回 失敗から学ぶ 筆者:佐藤 学さん

元・裁判官 佐藤 学 私の手元には、トルストイの名作「イワン・イリッチの死」(岩波文庫[米川正夫訳])という小説がある。イワンは、ごくありふれた官吏のコースを経て裁判官になった男である。娘にも婚約者が決まり、生活も安定した中年の分別の備わった人間なのだが、正体の分からない病気にとりつかれてしまう。死の恐怖にさいなまれながら、医者から医者へと転々とする。自分の病気は治るのか治らないのかという不安の中で、裁判官である彼も、病人という誰もがおかれる庶民の立場に立たされる。病人から医者を見上げるということで、彼は初めて特権のない者の立場を知るのである。そこで彼は大きな発見をする。それは医者が実に裁判官に似ているということである。

 どの医者も人間性をじかに露出させない。何か装ったところがある。いやにしかつめらしく、病人の胸をたたいたり、聞いたりするところから、明らかに不必要だと思われる紋切型の質問をするところまで、イワンが法廷で被告(人)に示す態度とそっくりである。素人がいろいろ心配することはない、専門家の自分にまかしておけばよいと思い込ませるような物々しい顔つきも同じである。話の進め方はもっとよく似ている。病人の一番知りたいのは助かるのか助からないのかということなのに、医者はそんな質問は適当でないといったふうで、触れようとしない。医者は医学の論理の藪知らずの中へ連れ込む。医者は言った―これこれの兆候によってみると、あなたの体内にはこれこれの病気がある。しかし、それがもしこれこれの検査で決定されなかったら、そのときはあなたの病気はこれこれだと想定しなければならぬ。もしこれこれであると想定すれば、そのときは・・といったふうである。そういう医者の話を聞いているうちにイワンは医者は自分のことなどどうでもいいと思っていることが分かってくる。自分というものの地位が実に哀れなものだと感じるとともに、自分の生命にかかわる重大な問題に平気でいられる医者に対して限りない憎悪をもつようになる。

 「われわれ病人というものは、よく馬鹿げたことを聞くようにお思いでしょうが―と彼は続けた。―全体からみて、これは危険な病気でしょうか、どんなものでしょう?・・・」

 医者は眼鏡ごしに、片目だけでいかめしく彼を見すえた。その表情はまるで、『被告、もしそのほうが提出された質問の範囲を越すならば、本官はやむを得ず退廷の処分を命じるぞ』とでも言いたそうであった。

 「必要で適当と思うことはもうお話ししました」と医者は言った。「それ以上はもう検査の結果を待つよりほかありません」こう言って医者は会釈した。

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 私は、北大で準硬式野球部に所属し、大学4年の夏、神宮球場で行われた全国大会を最後に、野球をやめ、司法試験を目指したが、父からは2年で合格できなければ、仕送りはしないという厳命を受け、試験勉強に死に物狂いで取り組んだのです。しかし、現実は厳しく、挑戦1年目は最初の択一[短答]試験(司法試験は、択一[短答]、論文、口述の各試験がある)に落ちてしまい、残るは1年になってしまった。2年目は努力が報われたのか、択一[短答]、論文と合格したものの、何ということか、口述試験で苦杯をなめてしまったのです。翌年は、口述試験のみ受ければよいという特典があるとはいえ、ショックは大きく、体力だけで頑張ってきた感があるだけに、もう1年面倒みてほしいと親を説得できたとしても、気力が続くか心もとなくなってしまった。そんな折に、気晴らしに読んだのが、「イワン・イリッチの死」だったのです。それまでは、貧しい人を助けるような弁護士になろうという、淡い夢を抱いていたのですが、この小説を読み、失敗したという現実に目をそむけ、言い訳して逃げ出したのでは何の解決にもならないという思いに至り、そして何よりも、最終の判断は裁判官しかできないし、結局、困っている人を真に救えるのは裁判官だという結論に達したことから、裁判官志望に気持ちを切り替え、再挑戦することにしたのです。

 しかし、今この小説を読み直してみて、実は違う感想を抱いているのです。端的に言えば、生きざまと死ということです。書物というのは、同じ本でも、読む人の職業、年齢、地位や立場、抱懐する悩みなどによって、感動、感想に違いが出てくるものであり、読み進む中で、ああも考え、こうも考え、また、こうも考え、ああも考えということを繰り返しながら、全体から、あるいはあるフレーズから、印象を形成しながら、螺旋状に意識を昂揚させていくことを、改めて実感しているのです。

 また、口述試験に失敗したころ、心和ませてくれたのが、童話作家坪田譲治の言葉でした。中学の入試で2回、高校の入試で1回、大学の進級試験で3回の計6回落第した彼は、62歳のとき、こう書いていたのです。「ユックリと勉強して、ユックリと恋愛して、ユックリと年をとっていくことである。人生の楽しみ、自らその中にありである」と。失敗なんて何でもない。落ち込むことは、心を豊にする心のひだのようなもの、と割り切れたのです。

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 少し裁判のことに触れてみましょう。正義の女神像を知っていますか。女神は、目隠しをし、片方の手にはかり、もう片方の手に剣を持っています。目隠しをしているのは、誰に対しても偏見を抱かず、公正無私の心を表すためです。裁判の結論は、人種とか肌の色とか、宗教、政治信条などではなく、証拠に基づいて決められるのです。その証拠の重みを量るために、女神ははかりを持っているのです。刑事裁判では、その被告が犯人であると「合理的な疑い」をさしはさむ余地がないところまで、検察官が証明しなければなりません。正義の女神の持つはかりは水平ではなく、被告に有利に傾いているのです。無罪の推定を覆すほどの証拠を提出して初めて、はかりは検察官の方に傾くのです。剣は、裁判で決まった結論(刑事裁判では死刑を含む判決結果)を執行する力、すなわち権威・権力を表しています。日本は、法治国家ですので、社会はいろいろな意味で法律と深いかかわりがあり、皆さんもそのような中で生活しているわけです。

 近い将来(5年後)、刑事裁判では裁判員が参加して結論を決めることになります。今、高校生の人も、大きくなったら裁判員を務める時間をぜひ作ってください。それは、私たちの民主主義の、最も重要な礎のひとつなのです。

 私は、30年間の裁判官生活を通じ、過ちなく(私自身、過ち、すなわち誤判とは、無罪や無辜の人を有罪にすることだと考えている)この仕事を終えたいという思いを強くもっていました。そして、審理では「疑問(謎)」を残さないようにし、親切かつ分かりやすい審理と判決を心がけましたが、公刊物に掲載された、私の最後の判決(無罪で確定)、いわゆる「城丸君事件」については、「殺人者はそこにいる(逃げ切れない狂気、非情の13事件)」(新潮文庫=新潮社)の「完黙の女」は紅蓮の炎を見つめた―札幌「社長令息」誘拐殺人事件(253頁以下)で取り上げられているものの、結局、謎を残した形になってしまったようです。インターネットに、「佐藤学裁判長」でアクセスすると、100件以上あった件数が今は10件余りになったとはいえ、この事件も残ったままです。インターネットから、裁判長としての名前が消えたとき、私は、当初法曹を志した弁護士として、新しい出発ができるような気がします。

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 オリンピックも終わり、プロ野球はセ・パとも優勝争いが繰り広げられています。駒大苫小牧(附属高校)が、初めて、本道に深紅の大優勝旗をもたらしました。ところで、「baseball」は誰が野球と名づけたのでしょうか。私は、プロ野球選手の脱税事件で、被告の選手に「野球も人なり」と説諭したのですが、誰が初めにこの言葉を言ったのでしょうか。この人は、「一球入魂」「試合で泣かず練習で泣け」という名言も残しています。疑問をもつ、そして謎を残さないように調べて解決していく、楽しいではありませんか。

 ゲームに例えれば、裁判も、野球も、そして人生も、台本のないドラマといえるでしょう。特に若い人には、可能性のある未来があるわけですから、若いエネルギーを出し惜しみせず、全力で突き進み、悔いのない人生を歩んでほしいと思います。
2004年9月8日脱稿


■筆者プロフィール
佐藤 学さん [元・裁判官]
1967年3月:北大法学部卒業
1969年9月:司法試験合格
1972年4月:福岡地裁判事補
1975年4月:青森地家裁弘前支部判事補
1978年4月:札幌地裁判事補
1982年4月:札幌地裁判事(兼札幌高裁職務代行)
1983年4月:東京地裁判事
1986年4月:釧路地家裁帯広支部長判事
1988年4月:札幌高裁判事
1989年4月:札幌地裁部総括判事
1995年4月:名古屋地裁部総括判事
1999年4月:札幌地裁部総括判事
2002年3月:依願退官
2002年5月:公証人(現在に至る)

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