読書雑感

このコラムは、企業経営者、団体のリーダーなどの方々にご登場をいただき、読書を基本軸に仕事や生活、文化、芸術、経済、哲学、を語って頂くコラムです。
トヨタ自動車北海道(株)副社長石橋さんに続く第4回目は、NPO法人コンカリーニョ理事長の斉藤さんのコラム。それは突然一冊の本との出会いではじまる。読者の私たちに、さらに一歩前進する勇気を与えてくれそうな、ふしぎな力を感じます。どうぞお楽しみ下さい。

■第4回 出会って、焦がれて・・・ 筆者:斉藤 ちずさん

斉藤 ちず(NPO法人理事長) 「出会って、焦がれて・・・」決して、恋愛物語について、書こうとしているわけではありません。(笑)実は、私、この「読書雑感」のコーナーに寄稿させていただくには、人生経験も読書量も少々(圧倒的に?)足りないのではないか、と思っています。ただ、お話をいただいたとき、仕事がら今でもよく読む、多くの戯曲と一緒に、頭に浮かんだ一篇の演劇評論がありました。現在の私が、演劇および劇場、アートマネージメントの活動に没頭している遠い出会いは、もしかしたら、この評論だったかもしれない、と。

 それは、まだ、高校生の頃、当時は出身地である愛媛県の地方都市進学校に通っている頃でした。日本地図でいうと四国の左下端の“明るい漁村”と表現するのがぴったりするような“田舎”に育った私は、“都会”にあこがれ、“都会”に出るために、とにかく勉強をしていました。女の子でも勉強さえできれば、周囲は都会に出ることを認めてくれる、と、中学時代から考えていて、反対する漁師の父を中学校の先生の応援も受け、説得し、私は見事「合法的家出」に成功し、高校3年間の下宿生活を獲得していました。高校時代は、それでも今よりは本を読んでいたのだと思います。図書室には、よく出入りしていました。読んだ内容を覚えている本もあれば、内容もタイトルもおぼろげになっているものも多くあります。

 その演劇評論の筆者は、菅孝行さん。書籍自体のタイトルは、もう覚えていませんが、「状況劇場(唐十郎)」「早稲田小劇場(鈴木忠志)」「天井桟敷(寺山修司)」など、アングラ演劇と呼ばれる劇団が新劇をはじめとする既成演劇に反旗を翻して、新しいかたちを猛烈に模索していた1960年代後半〜70年代前半の社会と演劇について編集された評論集でした。別に演劇に特に興味があったわけではなく、高校の演劇部の文化祭の公演を見て、「全然面白くないなあ」と感じていた私が、その本を手に取ったのは、どちらかというと、全共闘運動など社会を変革しようと志していた学生運動に幾分の興味があったからだと思います。四国の片田舎に住んでいると、全共闘運動も、父の「こがいになったら、いけんぞ(=こんなふうになったら、ダメだぞ)」という言葉とともにテレビのニュースの中の世界のことでした。しかし、高校生の私は、もう過ぎてしまったその時代の熱のようなものに興味を抱いていたようです。

 そうして、手に取った評論集の中には、菅さんのほかにも何人もの評論が並べられていました。その中で、菅さんは、唐十郎率いる、紅テント:状況劇場のことを中心に時代を論じていました。新宿花園公園でのテント公演。〜当時の私に取ったら、テントで芝居をする、ということ自体が、すでに驚きだったに違いありません。〜そこに書かれている公演風景と見ている人たちも含めた空間の興奮。唾と一緒に発せられる弾丸のようなセリフ。「特権的肉体論」というなんだかわけがわからないけど、何か特別そうな感じのする唐の演劇論に支えられた役者。雨の中ずぶぬれになりながらも注視し、舞台に声を飛ばすテントの中の満員の観客。乱闘、上演をめぐる機動隊との衝突。私が表現すると、月並みになってしまいますが、高校生の私は、それらの風景が切り取られ、焼き付けられた菅さんの鋭い文章に魅了されました。想像はもうもうと膨らみ、その空間の熱気にあこがれ、自分もその場に身をおきたいと願いました。あのときの恋にも似た、熱い感覚と衝動が、今の私の活動のスタートだったのかもしれません。

 その後、予備校に通いながら、いくつかの劇評や演劇に関する書物を読むようになります。あこがれた唐十郎の戯曲もすぐに何篇か、手に取りましたが、読んでいるだけだとなんだかわからなくなって、読み進められなかった思い出があります。(戯曲を読んで、面白いと感じられる、あるいは読み進められるようになったのは、自分で芝居をやるようになってからです。)まともな観劇は、それらの戯曲以外の演劇周辺の本を読んだ後でした。今、思うと、本を読みながら、演劇に対する想いを膨らませていたということでしょうか?そうやって、本も読みながら、関西での2年の予備校生活の間に割りと多くの観劇もし、北大入学と同時に、大学のサークル活動として「北大演劇研究会」に入部し、演劇の現場に足を踏み入れました。

 それから20年。大学中退、仲間と劇団旗揚げ、結婚、出産、離婚、小劇場フリースペース運営、プロデュースと、こんなに長く続けるとは思ってもいなかった演劇活動のつながりでNPO法人を立上げ、劇場再建を中心とした「まちとアートをむすぶ」活動に没頭しています。不思議なものです。あの時、菅さんの文章に出会わなかったら、多くの人と同じように「演劇?う〜ん、高校の演劇部のしか見たことないなあ。面白くなかったよねぇ。」と言っているかもしれません。(残念ですが、演劇に限らず、メジャーな音楽コンサートを除くと舞台芸術は日本ではなじみが薄いと感じています。)先日、仕事の関係で、その菅さんとはじめて、お会いし、高校時代に読んだ菅さんの力のある演劇をめぐる評論と私の現在に至るまでのお話もしました。菅さんは「じゃ、僕の文章と出会わなかったら、あなたは医者になってたかもしれないんだね。それは、悪いことをした。」と笑っていらっしゃいましたが。

 現在は舞台を見ていなくてもその評論から演劇に興味を持たせるような、力強い評論には、なかなか会えなくなってしまいました。もう、私のように、まだ見ない世界に文章を通じて、心ときめかし、あこがれて・・・、という若者も少なくなったのでしょうか。
2004年12月4日脱稿
NPO法人コンカリーニョ【団体HP】http://www.concarino.or.jp


■筆者プロフィール
斎藤 ちずさん
「NPO法人コンカリーニョ」理事長(演出家・プロデューサー)
1962年:愛媛県生まれ
1982年:北海道大学医学部進学課程入学
1985年:北大中退

北海道大学在学中に北海道大学演劇研究会にて演劇を始め、1986年には札幌ロマンチカシアターほうぼう舎の創設に役者として参加。同劇団解散後1995年から演出活動とともにコンカリーニョのスペース運営開始。「バレン座」などのプロデュース公演にて、年1〜2作品をつくる。

おもな演出作品:
「ジョンとジョー」/「快作・サーカス物語」/「ちゃっかり八兵衛」/「ぐぅ」/朝日町住民参加劇「明日も陽だまりで」/八軒物語2003「屯田兵こぼれ話」

やまびこ座「遊劇舎(小3〜6)」をはじめ外部からの演劇ワークショップ講師依頼の活動も増えている。またコンカリーニョ(1995〜2002年)のホールマネージャーとして、ダンス公演やフェスティバルのプロデューサーほか、多くの実績を収める。

おもなプロデュース企画:
Dance Weeks/遊戯祭/さっぽろWest Side マイムフェスティバル/琴似あーとdeバザール本通り/のきさきJack/まちかど突然劇場

現在は、まちとアートをつなぐ「NPO法人コンカリーニョ」の活動拠点となる劇場再建ための市民活動を展開し、企画実施プロデューサー、資金集めなど現場にて奔走中。

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