読書雑感

このコラムは、企業経営者、団体のリーダーなどの方々にご登場をいただき、読書を基本軸に仕事や生活、文化、芸術、経済、哲学、を語って頂くコラムです。ならわし、風習、家庭の行事、地域の伝統や暮らし、人々と助け合う生き方。どうも私たちは、今日これらの多くを過去の彼方に置き忘れて来たようです。こうした何気ない日々の暮らしの中にこそ大切な人間性や生きていくための知恵、努力、忍耐、人や生き物をいつくしむ心が育てられていたような気がします。お金は大事、だが正直で他人に優しい強い人間になることは、もっと大事と教えられた時代。第14回・佐々木良太郎さんの「蟻と私」は、そうした時代の自然や暮らし、淡々と日常を生きる人々の吐息がいきいきと感じられる珠玉の一編です。話題の映画「三丁目の夕日」をさかのぼる、もっと以前の日本人がここに生きています。筆者の佐々木良太郎さんは、琴似武道館館長として剣道を通して子供たちの人としての教養教育に長年力を注いでいらっしゃいます。では、どうぞお楽しみください。
次回は、この3月まで札幌市交通局長として市民サービスに努めてこられた黒田隆樹さん
を予定しています。こちらもお楽しみに!
■第14回 「蟻と私」

佐々木 良太郎 NPO法人札幌青少年育成会琴似武道館 館長 あれは、私が六才ぐらいの頃であった。いつもの様に、祖母は私をつれて、お寺参りに行った。
 沢山のお年寄(三十人程)がお寺の本堂につめかけていた。
 僧侶がやおら「読経」を始めた。小僧もかいがいしく世話をやきながら「報恩講」を手伝っていた。

 一時間程の読経が終わると十人ぐらいの女性達が手に鈴をもち、その音に合わせて合唱を始めた。あまり聞き馴れないものだった。「御詠歌」というものだと後で知った。しかしそれなりのハーモニーを奏でていた様に思われる。

 「御詠歌」が終わると、僧侶が話をしだした。「説教」=「説話」である。

 当時「昭和の初め」としては、お年寄りや、女性にとっては、数少ない「癒しの場所・カルチャーセンター」ではなかったかと思われる。

 日々の生活での悩みや、苦しみを「仏」の前で御詠歌を唄い、念仏を唱えることで、ひとときでも忘れようとしているかの様であった。

 僧侶の「説教」の中で子供の私に強烈に残された言葉があった。

 「殺生をしてはいけない」。「人は生きる為にどうしても必要な時以外は、生きているものを殺してはいけない」。「三度の食事の前にみんなで手を合わせて“いただきます”」というのは、食事に並んでいる様々な生き物の『命』をいただきますという感謝の気持ちを込めて言うのだと。

 私はその日の朝、蜘蛛の巣にひっかかった「てふてふ」を蜘蛛が糸でぐるぐる巻きにしているのを見て無性に蜘蛛がにくらしくなり「てふてふ」の仇討ちとばかりに棒で一撃の下に叩き落としてきたばかりであった。何か悪い事をしたのか?「てふてふ」の仇をとってやったと思っていたのに間違っていたのか?

 そんな事を思い出しているうちに「説教」は終わっていた。

 「おとき」という軽い精進料理での会食が準備され、揃ったところで全員で「いただきます」と云って食事が始まった。

 ごはん、みそ汁、お漬物、そして大根、人参、いも、油あげなど簡単な野菜煮であった。

 でもこんなに沢山の人達と一緒に食事をした事のない私にとっては初めての事で、とても楽しく、祖母にうながされて、大好きな、甘ずっぱく煮た油あげをほおばった。祖母は自分の油あげを私の器に入れてくれた。うれしかった。

 お寺での集まりが終わり帰途についた。私は、道路を目を皿のようにして下を向いて歩いた。

 「生き物を殺しちゃいけない」、虫も蟻も…、右手をしっかり祖母とつないで歩いた。
 その日以来、私は虫や蟻をふみつぶさない様に気をつけるようになった。でも自分の気が付かない所で殺生をしているかもしれない。

 古希を迎えた昨今、道路を歩くとき、より以上、虫や蟻に注意をしている。

 「三つ児」の魂…百までも…である。日本の国には、日々の社会生活の中で、生きていく上で、昔から様々な「教え」があり代々受け継がれてきた。

 仏教の教えからのものがいかに多いか、思い知らされている今日此の頃である。
2005年11月8日脱稿

■筆者プロフィール
佐々木 良太郎さん [NPO法人札幌青少年育成会 琴似武道館 館長]
■経歴
1933年札幌に生まれる。
桑園小学校
札幌第二中学校
札幌第二高等学校
札幌西高等学校を経て、
北海道大学経済学部 経済学科 卒業。
小西六写真工業(株)
コニカ販売(株)
コニカビジネスマシン(株)
(財)全日本剣道連盟 剣道練士六段
(財)北海道剣道連盟 登録審判員
(財)札幌剣道連盟 代議員
NPO法人札幌青少年育成会 琴似武道館 館長

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