読書雑感

このコラムは、企業経営者、団体のリーダーなどの方々にご登場をいただき、読書を基本軸に仕事や生活、文化、芸術、経済、哲学、を語って頂くコラムです。北海道新聞社
広告局戦略担当局長矢萩竹美さんの「野球と小説の間」に続く、第17回の今回は、
世界のサッカーファンの目を釘付けにしたワールドカップ・ドイツ大会をつぶさに観戦し新たな世界の問題点やその向かうべき方向に思いを巡らす筆者、コンサドーレ札幌代表取締役社長の児玉芳明さんの「サッカーボールは世界をつなぐ」をお届け致します。
どうぞお楽しみください。さあ、道民のクラブ、コンサドーレに熱い声援を!よろしく!

■第17回 「サッカーボールは世界をつなぐ」
〜2006年W杯ドイツ大会から〜

北海道フットボールクラブ 代表取締役社長 児玉 芳明

世界を熱狂と寝不足に追いこんだ2006年W杯ドイツ大会が終わった。日本の1次リーグ最下位敗退、ジダンの頭突き、中田の引退、オシム氏の日本代表監督就任など、イタリア優勝のあとも余韻が残る話題沸騰の大会だった。

期間中、熱く燃えたドイツの各地を巡り、2週間にわたって本物のサッカーの祭典を味わってきた。W杯は世界の最大の祭りだった。オリンピックの取材経験もあるが、1つのボールの行方を巡って、世界が沸き立つ大会は五輪をはるかに超えている。320万人の観客がゲームを観戦し、延べ300億人がテレビに釘付けになった。

1次リーグ期間中、主にフランクフルトを基地にドイツ国内外を観て回ったが、どこの街も各国の国旗、ユニフォームであふれていた。勝利を祝う歓声、サイレン、花火、車のクラクションは未明まで続いた。平和のお祭りとしては大成功だった。

街角はどこもお祭りムード
街角はどこもお祭りムード

イラクの紛争など不安定な世界情勢の下で、ミュンヘン五輪時のようなテロやフーリガンによる騒動が心配されたが杞憂に終わり、文字通りサッカーボールが世界を1つにした大会だったと言えるだろう。厳重な警備を予想していたが、バスの中で待機する警察官は暑さのせいもあり、防弾チョッキを外して風を入れる姿も見受けられた。

それだけではない。環境問題、差別防止を世界に向けて発信した大会でもあった。国際サッカー連盟(FIFA)は1994年の米国ロサンゼルス大会以降、意識的にW杯を通じて世界を変えよう、貢献しようとしてきた。ロサンゼルス大会はサッカーの空白地、米国を包み込み、世界を“サッカーボール”にすることに成功した。1998年のパリ大会は、EUの共通通貨ユーロの準備が整った年であり、ヨーロッパは1つになることをアッピールした。2002年の日韓大会は極東の平和と安定に、両国の融和が必要だとして日本などの不満を抑えて、共同開催にしたのだ。

ドイツ大会は環境問題への取り組みを最大のテーマとした。本来なら五大陸持ち回り開催が原則だが、アフリカ大陸開催を先送りして環境先進国のドイツを選択した。2010年は南アフリカ大会だが、ここではエイズ対策が命題となる。数百万人の観客が訪れるのを機会にエイズ撲滅を、さまざまな形で呼びかけることになるだろう。

エネルギー節約のために自家用車での来場を制限し、公共交通機関を利用した観客輸送は大きな混乱もなく、きちんと行われている。ごみ対策の取り組みもあちこちで見られた。アウトバーンから見える多数の風力発電は自然エネルギー利用を呼びかける暗黙のデモンストレーションのように思えた。

田園地帯に広がる風力発電の風車
田園地帯に広がる風力発電の風車

また最近のサッカー界を暗くしていた人種差別に対して、FIFAは、「Say no to racism」(人種差別にノーと言おう)と「A time to make friends」(友だちづくり) のスローガンをピッチ上に置いた。裏を返せば、それだけ人種差別が横行しているのだろう。その危機感がグラウンドから伝わってきた。

しかし、決勝戦でジダンの頭突き退場という最悪の形となって表面化してしまった。差別発言で意識的に挑発、試合を有利に進めようとする行為すらあると、世界のサッカー界の裏側を知る友人は言っている。人種差別の根深さを示している。次回の大会は南アフリカだ。エイズ退治とともに人種差別に対する戦いでも成果を期待したい。

ピッチの上には人種差別反対のスローガン(日本―ブラジル戦)
ピッチの上には人種差別反対のスローガン
(日本―ブラジル戦)

日本代表の戦いで言えば、残念の一言だが、勝ち残った各国をみると歴史の厚みを感じた。日本のJリーグは生まれて13年。ヨーロッパなどは100年以上の歴史を持つ。

ドイツでは日本の小学校数の3.7倍に当たる8万6千箇所のスポーツクラブがある。国民の健康を向上させるため、1959年、策定したゴールデンプランの成果だ。それらのスポーツクラブをまとめるスポーツシュ―レ(学校)がある。小さいころからサッカーボールに触れ、優秀な選手が育ってくる。裾野が広く、土壌が違う。日本はこれからだ。

背伸びせず、じっくりと時間と手間をかけていく。日本にとってそれを思い知らされたのが今回の大会だったのだろう。幸い、Jリーグの定着によって基盤作りは進んだ。これからが日本サッカーのスタートと考えればいい。

コンサドーレ札幌も今年、10年目を迎えたに過ぎない。キッズからU−18までの育成システムがようやく出来上がった。総合スポーツクラブづくりの第1歩を函館で始めた。札幌市北区東雁来にはコンサドーレの練習場2面を含め、4面(うち1面は天然芝)を持つ札幌サッカーアミューズメントパークが稼動を始めた。北海道サッカー協会、札幌市と一緒に作ったものだ。道内サッカーの聖地となる。手間を惜しまず、急がずあせらず一歩一歩進んでいけば必ず結果はついてくる。それを学んだW杯であった。

平成18年7月24日脱稿

筆者勤務先コンサドーレ札幌のURLはこちら。
http://www.consadole-sapporo.jp/index.php

■筆者プロフィール
児玉芳明 [北海道フットボールクラブ代表取締役社長]
■経歴
1937年1月 神奈川県横浜市生まれ
1959年 中央大学法学部法律学科卒業
1959年 北海道新聞社入社
1987〜1988年 北海道新聞社東京支社外報部長
1988〜1989年 北海道新聞本社編集局 経済スペシャル編集長
1989〜1991年 北海道新聞社米国ワシントン支局長
1991〜1992年 北海道新聞社東京支社編集局長
1992〜1994年 北海道新聞社旭川支社長
1994〜1995年 北海道新聞社本社出版局長
1995〜2001年 道新スポーツ代表取締役社長
2001〜2004年 「アラタ」編集長
(株)CWE副社長、
(株)パブリックセンター(特別顧問)
2005年3月 北海道フットボールクラブ代表取締役社長
■公職
NPO法人札幌微助人倶楽部会長、勤労者マルチライフ支援事業北海道協議会理事、 北海道ユニバーサルデザイン推進機構理事、財団法人シニア ルネサンス財団北海道本部長代行、財団法人さっぽろシュリーの店評議員、北海道スローフード・フレンズ顧問

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