読書雑感

このコラムは、企業経営者、団体のリーダーなどの方々にご登場をいただき、読書を基本軸に仕事や生活、文化、芸術、経済、哲学、を語って頂くコラム、エッセイです。
前回のトヨタ自動車北海道(株)田中社長に続く第23回の今回は、苫小牧市副市長の中野裕隆さんのエッセイをお届けいたします。中野さんは多忙な苫小牧市副市長の要職にありながらも何とか工夫をして「読書を楽しむ」時間をつくっています。それは、人が暮らしていく上で欠かすことの出来ない、欠かしてはいけない栄養素と信じているからです。毎日食事をするのと同じで、心と人間としての成長には「読書」という毎日の食事がとても大切なのです。また、中野さんは何よりも読書と本に対して心からの愛情をそそいでいらっしゃいます。その愛情は、シリーズ全編を通して読者の皆さんにも感じていただけると思います。さて、4回シリーズの今回、第1回目は「小説のちから」です。今も変わらず続く長い読書人生のなかで、さまざまなジャンルの書物に触れてこられた中野さんですが、小説から得られたもの、作家の物の見方考え方が色濃く反映されている小説の持つ力について、青春の熱い思い出と共に書き記してくださいました。どうぞお楽しみください。きっと読者の皆さんは、すぐに本を読みたくなるに違いありません。

■第23回 読書の楽しみ(1)

苫小牧市副市長 中野 裕隆

1 小説のちから

友人の話である。

中学生の彼は、姉の本棚から太宰治の「人間失格」を取り出し、読んだあとぼう然としたまま海に落ちた。助けられた彼に、教師は山本周五郎の「さぶ」とクローニンの「城砦」を与えた。

私たちの少年時代は昭和30年代。敗戦からまだ10数年、戦争の記憶が残っていた。夜は真っ暗で、お化けや妖怪がいてもおかしくない。家族はみんなストーブのある明るい茶の間に集まった。

茶の間にあるのは真空管式のラジオ。家内の唯一の電化製品で、テレビが入ってきたのはもっと遅い。陽が落ちてから寝るまでの間の娯楽はラジオを聞くこと、そして、本を読むことだった。ラジオや本はそれにのめり込む想像力が必要だ。友人は想像力が強すぎた。

「人間失格」を書き上げて1月後に、太宰治は山崎富栄と入水自殺をする。このため作品は太宰の遺書と言われた。

手記の体裁をとって、道化という仮面をかぶった少年時代、果てしない女性遍歴と麻薬にとりつかれた青年時代、そして、おきまりの自殺未遂と、まるで太宰の人生をなぞり、確認するかのように告白が続く。

私の記憶には薄く、作品に強く心を動かされたことはない。感情移入ができなかったのは、私にとってはリアリティが感じられなかったのだろう。

私は故郷を訪ねる「津軽」や文学の師、井伏鱒二が放屁する「富岳百景」のほうが本当の太宰を見るようで好きだ。

「さぶ」は成長する若者の話だ。腕のいい飾り職人の栄二は、身に覚えのない罪によって石川島の人足寄せ場に送られる。人間不信に陥った栄二は自暴自棄になっていくが、そこで出会った人たちに守られて立ち直っていく。

幼なじみのさぶと、おのぶは栄二の無罪を信じて、店を用意して待っていた。えん罪を起こしたのは、栄二のかみさんになりたかった、おのぶだった。

「城砦」も読むに値する作品だ。貧しい若い医師が理想に燃えて炭坑町に赴任する。因習や軋轢と戦いながら人間として成長していく。やがて、ロンドンで開業医として成功する。人生を積極的に肯定する内容が、すがすがしい読後感を与える。自身医師であるクローニンはもっと読まれていい作家だ。「帽子屋の城」が面白い。

2 山本周五郎のおもしろさ

もし時間があれば、もう一度読んでみたいのが山本周五郎だ。読み終わるたびに「人間って本当にいいな」と思う。「人情」という言葉を一番良く知っている作家ではないか。

周五郎の目は人間を鋭く見据えるが優しい。貧しく、愚直でもいい、真っ正直に生きていれば、必ず報われる。誰が見ていなくとも、俺だけはお前のことを見ているぞと周五郎は言う。

作風から、周五郎は世俗を超越した枯れた仙人のような、白髪痩身の風貌を想像していた。ところが、写真を見ると全く正反対で、小太りで髪が薄く顔の大きな、およそイメージとはかけ離れた風采である。しかも、ついには命を奪うことになる大酒のみでもある。

これだけ泥臭いから人間の悲しみが分かり、人情味細やかに最底辺の人々を描くことができたのだろう。

周五郎の作品では「その木戸を通って」が好きだ。なんとも奇妙な作品で、記憶を失った若い娘が突然舞い込んで来るところから話が始まる。記憶のないことを除けば気だてのいい、誰からも好かれる娘だったので、その屋敷の若い当主と母親に気に入られ、結婚して女の子を得て幸せな生活送る。ところが、記憶を取り戻しはじめたのか、「その木戸があって・・・」とつぶやく。ある日、妻は夫と子供を置いて消えてしまう。

「城中の霜」もいい。安政の大獄にたおれた橋本左内が死ぬ間際、涙を流したのが武士にあるまじき女々しいことだと、家中のものは言う。いとこの香苗は反論する。左内が涙を流したのは本当の命を惜しんでのことだ、と。左内にはこの激動の時代に、身命をかけてやらなければならないことがある。時代が左内を必要としているときに死ななければならない口惜しさ、それが涙だ。

山本周五郎の作品はほとんど全てが新潮文庫に収められている。それを読みながら藤沢周平に移り、周平を読み終わった今は北原亞以子に周五郎の余韻を楽しんでいる。

黒澤明は周五郎作品を映像化している。「日々平安」(にちにちへいあん)を最近リメイクされた「椿三十郎」に、「赤ひげ診療譚」を「赤ひげ」に、「季節のない街」を「どですかでん」に、まるで違う作品に作り替えていると言ってもいいくらいに、小説を超えた映画を制作している。

「日々平安」などは短編である。それがどうして「椿三十郎」ではお家騒動を巡る大活劇になるのか。

小説が1次元の世界の事象だとすれば、映像は3次元の世界に飛ぶ。情報量は飛躍的増える。映像では人物の描写だけでなく、衣食住の細部にわたって表現しなければならない。背景となる町並み、農村のたたずまい、自然景観も小説には書き込まれてはいない。その差を埋めるのが想像力である。

小説の面白さはどれだけリアリティがあるかだが、時代劇やSFは想像力を働かせる余地がある分だけリアリティがある。江戸時代に住んだことも月に行ったこともない身には、自分の江戸時代と月世界を想像するしかない。

反対に、現代小説は手抜きができない分だけ難しいのかもしれない。だから抽象に走りリアリティを失うのだろう。例は違うが、絵画が抽象化、前衛化していったのは、写真の出現や映画の台頭に時期を合わせる。

2008年4月4日 脱稿

=4回シリーズ。どうぞ次回もお楽しみに!=

■筆者プロフィール
中野 裕隆 [苫小牧市副市長]
氏  名 中野 裕隆(なかの ひろたか)
生年月日 昭和24年10月13日
■経歴    
昭和43年3月 北海道立苫小牧東高等学校卒業
昭和47年3月 北海道大学工学部衛生工学科卒業
昭和47年4月 京都市下水道局勤務
昭和50年4月 苫小牧市勤務
平成 3年5月 同市 土木部都市計画課長
平成11年5月 同市 企画調整部都市開発室長
平成13年4月 同市 企画調整部長
平成16年4月 苫小牧港管理組合総務部長
平成19年4月 苫小牧市副市長

技術士(建設、上下水道、衛生工学、環境、総合技術監理)

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