読書雑感

このコラムは、企業経営者、団体のリーダーなどの方々にご登場をいただき、読書を基本軸に仕事や生活、文化、芸術、経済、哲学、を語って頂くコラム、エッセイです。
第27回「読書雑感」は、デザイン・アドミニストレーター引地幸生さんの「ネクタイ嫌い」をお届けいたします。肩書きの“デザイン・アドミニストレーター”は、耳にしたことのない言葉かも知れませんが、それもそのはず引地さんが生み出した“デザイン管理者”と言う意味の造語なのです。引地さんは長年グラフィックデザインの世界で活躍され皆さんがよく目にする商品や広告物を精力的に産み落として第一線で活躍されております。現在は、単にグラフィックデザインの世界のみならず、広くデザインの視点で考える経営戦略や企業戦略へとその守備範囲を広め精力的に活動をされております。商業デザインの世界は一見華やかに見えるのかもしれませんが、企業経営と商品開発、それに消費者コミュニケーション(マーケティング)の3者をつなぎ、企業収益増大とエコロジー生活の提案との両方の目標を達成しなければならない、実は大変責任の重いシビアーな仕事でもあります。一方、デザイン業界の質の向上や発展のために札幌アートディレクターズクラブ2008年度代表会員として、そのリーダーシップを発揮されています。さて、筆者引地さんがデザイナーを目指した理由とは何だったのでしょうか。穏やかな浜辺の風を思わせる文章から時代の空気と共に筆者の人生の一端を感じていただけることと思います。どうぞごゆっくりお楽しみください。

■第27回 「 ネクタイ嫌い 」

デザイン・アドミニストレーター 引地 幸生

社会人になると男性のサラリーマンのほとんどが背広姿で「ネクタイ」をしめる。それが正装としてごくごく当たり前のようなことのようになっている。でも、「ネクタイ」の存在って、ほんとうに何の役割があって存在し続けてきたんだろう。そんな他愛のないことだけど、不思議だなと思ったことはありませんか?僕の場合、子供の頃から不思議に思う疑問の1つでしたね。もちろん、今もその疑問は解決していないのですけど。

今の時代では、そういう疑問を持つとインターネットで簡単に検索したりして、いろいろな情報を集めて、頭の中でちょちょいと解決してしまうんでしょうけれど、僕の子供の頃には、そんな環境はもちろんなかったですし、親に聞いても「それが普通だから」という単純な答えしか返ってこなかった。そんな時僕は、図書館に行ったり、町の本屋でそのことが書かれている本を探したりして、自分なりに結論を捜し出していたような子供だった気がします。そう言う意味では、僕にとって「本」というものは疑問を解決に導いてくれるであろう存在であり、それだけではその疑問を解決できない存在でしたね。

たとえば、人間の行動についてや、本能・心理について考える時期があって、そんな時は、そのことが書かれている文献を捜す。今、頭の中に印象的に残っている本は、フロイトの書かれた本かな?「人間の欲」についても書かれていたりして、結構おもしろかったですね。でも、またそこから新たな疑問が生まれる。そんな若い頃からの本との関わりですけど、よ〜く考えてみると、今もそうですけれど、文学小説はほとんど読んでこなかったですし、僕にとって本は「人生の参考書」そのものだったんですね。僕には、ひとつ持論があって、やっぱり最終的には「自分の肌で感じる」ことが何かを教えてくれる一番大事なことと思っているんですよ。「事実」と「真実」みたいなもので、「事実」は本の中にも存在するけれど、「真実」は自分の肌で感じないとわからないということ。なんか、少しはフロイトの影響があるのかもしれませんね。

話は、「ネクタイ」の存在に戻りますが、「ネクタイ」は、もともと中世ヨーロッパのナプキンから来ているとか、兵士の弾よけのお守りから来ているというように古くからの伝統と歴史がありますが、そんなことはどうでもよくて、僕は子供の頃から「ネクタイ」というものが嫌いでした。もちろん、疑問がそうなんですけれど、第1に首に絞める窮屈な感覚が嫌でしたね。僕自身もともと首が太かったもので、実際にしめてみるとくるしい感覚。今でも冠婚葬祭は仕方がないので(これも何の結論にもなっていないのですが)しめることがありますが、普段の生活や仕事においては、全くしめることはありません。

こんな話をしたのは、僕が社会人になってどんな仕事をしたいかと思ったきっかけが、「ネクタイ」だったからです。「ネクタイ」をしなくてもいい仕事ってどんなんだろうってね。そんなことをなんとなく思っていた高校2年の頃、たまたま親戚の叔父が遊びに来た時、その叔父の風体を見た衝撃が、僕がこの仕事をしようと思ったきっかけでした。

叔父は、その当時広告代理店のアートディレクターという横文字の肩書きで仕事をしており、顔には髭を蓄え、まさに僕の嫌いな「ネクタイ」などはしめていない風体。当時は、花形のカタカナ商売と言って、誰もがあこがれる仕事をしていました。僕も子供の頃から絵を描くのも好きで、学校でも良い点数をとっていたものだから、アートディレクターなる仕事が具体的にどんなものなのか理解出来るはずもなかったけれど、「よし、これだ!」と速攻思いましたね。なにせ、花形のカタカナ商売は、なんとなく女性にもてそうな気がしましたしね。(笑)

そう思った時期からは、叔父に質問攻めです。叔父からは、実際の仕事の話やデザイナーという仕事についていろいろ聞くようになりました。叔父は、「この仕事を目指すならまずはデザインの勉強をして、印刷という知識も身につけないといけない」など、いろいろアドバイスをしてくれました。まだまだデザインというものについて、実際にその仕事がどんなものなのかもわかるはずもなかったけれど、アートディレクターの叔父という「事実」は、僕にとっては、本と同じように「人生の参考書」そのものだったんですよ。

そろそろ進学のことも考えないといけないという時期になり、決めたからにはこの花形のカタカナ商売を目標に突き進もうと。家はそんなに裕福なほうではなかったので、高校卒業後は大学進学をせずに、東京にあるデザインの専門学校に行くことに決めました。もちろん、学費や生活費は自分の力でと、専門学校では新聞配達をしながらの充実した2年間でした。

デザインの専門学校に通っていたとはゆえ、実際に仕事をするとどんな環境でどんなものになるのか全然わからず。就職をすることが近づいて来た頃、叔父の言った「まずは印刷の事を理解しなさい」という言葉を思い出し、デザインから印刷までやっている小さな印刷会社に入ることにしました。そこでは、スーパーなどの折り込みチラシを創るところで、僕は、そこの版下(デザインを印刷の版にするための作業)を創る役割からスタート。その当時は、今のようにパソコンでデザインをする時代ではないので、もっぱら台紙に烏口で線を引いたり、写植(写真植字といって、文字を印画紙に白黒で焼き付けたもの)をはったりしていましたね。出来上がった版下を次の行程、製版(版下を実際に印刷する版に仕上げる作業)に渡す。そして印刷。この一連の流れが実際の仕事の中で体感できたことは、今考えるとちゃんと身に付いていて今の仕事でもたくさん役立っています。叔父の言葉に感謝です。ほんとうに勉強になりました。これがデザインという仕事の入口だったんですね。そして、「自分の肌で感じる」ことが何かを教えてくれる一番大事なことを教えられた時期でもありました。

人間、同じことを繰り返していると、ふつふつと欲望が湧き出して、もっと大きくなりたいと思うようになります。印刷会社に就職した当時から、通信教育で大学の勉強も(フロイトの話は、この時期のことです)していましたし、叔父が目標でもあったので、広告代理店という会社で仕事がしてみたいという思いが強くなってきました。2年間勤めさせてもらった印刷会社を退社し、そこで創り上げた作品をもって、小さな広告代理店に就職活動。この会社はその当時新宿西口にしかなかった「ヨドバシカメラ」の広告を引き受ける会社で、運良く就職も出来ました。いやぁ〜、すごかったですよ。なにせ、デザインだけをやれば良かった訳でなく、営業やマーケティング、雑用の仕事までやらされてしまっていたのですから。コマーシャルのエキストラもやったりしましたよ。仕方がないですよね、小さな広告代理店ですから何でもやらないといけないのですから。おかげで広告代理店という仕事の内容がどんなものなのかを理解できるようになりましたね。う〜む、でもこの会社は、僕の嫌いな「ネクタイ」をしなければならない会社でしたので、そんなに長くは勤めませんでした。(笑)

それからは、フリーのデザイナーとして東京で仕事をしていましたが、24歳で札幌に帰って来ました。親のこと、結婚のことがきっかけですね。札幌では、今までの自分の仕事の実績を見てもらおうと今まで創った作品を持って、いくつかの広告代理店をまわりました。

札幌では、東京のようにたくさんの広告代理店やデザインプロダクションがある訳はないので、飛び込み作戦の就職活動です。またまた運良く、東急エージェンシーという広告代理店に入ることが出来ました。まあ、運も積極的にアクションを起こしたことが良かったのでしょうか。この当時も思いましたが、頭の中であれこれ考えているよりも、まず実践です。「自分の肌で感じる」大切さ、人と人との出会い、そこで体感するエネルギーが自分を導いてくれるのだと。

東急エージェンシーでは、23年間勤め上げ、目標だった叔父のアートディレクターという仕事もするようになりましたね。東急百貨店の宣伝広告やファッションビルの4丁目プラザの広告宣伝など多くの仕事を手がけ、いくつかの広告賞もいただけるようになりました。広告代理店という業界で、クリエイティブディレクターという仕事をこなすようになった頃、目標であった叔父に少しは近づけたような気がします。でも、人間って満足しない欲のある動物ですよね。今度は、広告という世界だけでなく世の中に存在するデザインというコミュニケーション、デザインという価値を通して、もっと自分自身が役に立ちたいと思うようになりましたね。それで4年前に東急エージェンシーを卒業させていただいて、自らデザイン・アドミニストレーター(デザインを管理する人)という肩書きで仕事をはじめました。48歳の時です。同僚たちには、「なんで今さら」とか「独立するには遅すぎる」とか言われましたが、自分自身の挑戦を新たに始めようと決めました。妻もそんな自分のわがままを聞いてくれて、応援してくれ心強かったですね。

デザイン・アドミニストレーターという横文字商売は、今までこの世の中には存在しない、僕自身が考えるスタイルです。デザインという可視化するコミュニケーションがブランドというアイデンティティを形成する。そういった価値観でデザインをとらえると、デザインというものは、資産として運用していく大切な役割なのです。それをうまく活用できると、デザインの社会における役割が見えてくるはずです。今現在、僕の仕事は、千歳に本店・工場があるお菓子の「もりもと」の仕事を中心に活動しています。具体的にどんな仕事と言われますが、範疇が広くて一言では現せない感じですね。もちろん、広告の仕事もしますし、商品パッケージの仕事もしますが、経営的な立場でお菓子そのものの商品開発や販売方法など企業ブランドに関わる全体的な役割をしています。他にも「サッポロビール」の商品デザインなどの仕事をしたりもしています。

この年齢ですので、経験や実績などはたくさん積み重ねて来ましたが、今はじめたばかりのこの仕事は、若い頃に感じた「ネクタイ」なしの新たな挑戦です。今は、目に見える目標を追いかけるのではなく、目に見えないカタチを創り上げることが目標ですね。

2009年2月11日脱稿

■筆者WEB SITE URL http://www.yukimushi.com/design/

■筆者プロフィール
引地幸生 [Design Administrator]
氏  名 引地幸生(ひきち ゆきお)
■主要経歴    
1957.1.14 北海道室蘭市生まれ
1975.3 室蘭栄高等学校卒業
1977.3 千代田デザイナー学院卒業
武蔵野美術通信短期大学デザイン科中退
1977.4 印刷会社、広告代理店勤務を経て、1980年にフリーで活動
1982.4 株式会社東急エージェンシー入社
2005.7 株式会社東急エージェンシー退社
2005.8 Design Administratorとして、活動中

Design Administrator(デザイン管理者)として、企業ブランドに関わる商品開発やパッケージデザイン、デザインコンサルティング、広告・デジタルメディア等の企画やディレクション、ブランドコミュニケーションに関するコーチングなどを手がける。北海道広告協会栗谷川新人賞をはじめ、これまで多数の作品がデザインコンペティションで入選・入賞。現在、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)会員。札幌ADC会員代表。札幌ADC運営委員。札幌メディア・アート・フォーラム運営委員。

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