読書雑感

このコラムは、企業経営者、団体のリーダーなどの方々にご登場をいただき、読書を基本軸に仕事や生活、文化、芸術、経済、哲学、を語って頂くコラム、エッセイです。
第32回「読書雑感」は、有人宇宙システム(株)監査室長代理の吉井実さん「老いて学ぶ」をお届けいたします。所得倍増の声を聞き、列島改造の波を経て高度成長期そしてバブル期の全てを人生の時間軸とともに歩んできた筆者吉井さんの「仕事・人の歴史」が、言葉を飾ることなく綴られています。団塊の世代の筆者は、およそサラリーマンの宿命である出向を国内はじめヨーロッパ、北米と数年単位で幾度も経験され、異なる人種・文化、異なる言語の中で精一杯誠実に仕事をされて来ました。今回は、これまでのコラム、エッセイとはちょっと異なるアプローチですが、丁寧に綴られた個人の歴史からは、何故かより鮮明にあの時代の生々しさが浮き上がってくるように感じるはずです。高校大学で野球を通して培われた辛抱、胆力をエネルギーに変換し世界を走り抜けた爽快感がここにはあります。原子力の安全有効活用、冷戦の最中での宇宙開発、こうした時代の日本そして世界の重要な役割の一翼を担った「あるサラリーマンの歴史」が見事に存在しています。前編、後編の2回シリーズでお贈りいたします。さあ、どうぞお楽しみに。

■第32回 「 老いて学ぶ 」 後編

有人宇宙システム(株) 監査室長代理 吉井 実

6 そして米国へ。またしても出向

合計4年間の出向が終了し、日揮(株)へ復帰して宇宙開発の仕事をしていたところ、今度は米国に新しく設立された子会社へ出向を命じられました。米国ワシントン州にある原子力施設で発生している核物質の漏えいによる水の汚染を除去する施設工事の受注に成功し、この業務を遂行するために米国子会社が設立されここへの出向が命じられた訳です。この出向期間中は、東海岸のバージニア州ハーンドンで1年間、西海岸のワシントン州ハンフォードで1年間家族4人での赴任生活でした。ただし、この受注業務は大幅な赤字となり、私も一時プロジェクトマネージャーを務めたことから後始末に大変苦労しました。因みに、この原子力施設は、長崎に落とされた原子爆弾の原料であるプルトニウムの生産工場があったところです。また、手元に『アトミック・ハーベスト(副題:プルトニウム汚染の脅威を追求する)』というハンフォード核兵器製造施設の放射能汚染を追求した本があります。

7 再び宇宙開発の現場

日本に帰り再び宇宙開発の業務に就くことになりました。この時の主たる業務は、ロシアの宇宙ステーション「ミール」を利用する宇宙実験のコーディネートです。日本が参加する国際宇宙ステーションの計画は遅れており、日本の科学者が宇宙実験をする機会がないことと、米国一辺倒の国際協力の幅を広げるべくNASDAがロシア宇宙機関と付き合いを模索した時期でした。また、平成5年にはこの国際宇宙ステーション計画にロシアも参画することが決定され、日本も本格的に長期宇宙滞在のノウハウを持つロシアとの付き合いが必要になりました。結果的には後から参加したロシアが平成10年11月20日に国際宇宙ステーションの最初のモジュールである「ザーリャ(夜明け)」を打ち上げることに成功しましたが、私は幸いにもこの日モスクワの管制センターで打ち上げの様子を見る機会を得ることができました。

8 退社を決意

会社は、経営が順調な時もあれば、苦しい時もあります。日揮(株)でも平成10年の夏ごろから本格的に経営の見直し、俗に言う「リストラ」の検討が着手され、ついに翌平成11年4月には早期希望退職の募集が始まりました。私は宇宙開発部門の責任者でしたので宇宙関連への再就職を何件か斡旋する活動もしていたのですが、9月には冒頭に記したとおり「天命を感じて」自身も早期退職を決断しました。

9 再就職、定年、そして再雇用

1年半の浪人生活の後、有人宇宙システム(株)に再就職することになりました。この会社には平成2年から1年間出向の身分で勤めておりましたのでこれで2回目です。ここでは、浪人期間中の勉強の成果を生かしつつ、企画課長、応用化事業室長、利用技術部長、監査室長代理といろいろな業務に携わることができ、平成22年3月末で定年退職し、再雇用で現在も勤務しております。この間には、スペースシャトルコンビンア号の事故(平成15年2月1日)、 若田宇宙飛行士による日本実験モジュール「きぼう」の完成(平成21年6月)などの大きな出来事と出会っています。

10 佐藤一斎『言志晩録』

「我等勝縁によって相学ぶ。古人曰く、少(わか)くして学べば壮にして為すあり。壮にして学べば老いて衰へず。老いて学べば死して朽ちず。」  このことばは、最近の読書で3回出てきました。1回目は、小野晋也氏の『本物に学ぶ生き方』、2回目は月刊『致知』平成22年2月号の対談「学び続けるリーダーこそ道をひらく」での數土(すど)文夫氏の言葉。そして3回目が安岡正篤氏の『安岡正篤 人生信條』です。人生戻れれば「壮にして学ぶ」から再出発したいのですが、これは無理なのであと30年くらいありそうなこれからの人生では古人の教えに従い「老いて学ぶ」を続けたいと考えております。

11 感謝

このコーナーへの寄稿の機会を与えてくれたのは、北大準硬式野球部の同輩である馬場哲成さんです。拙文ですが、読者の方々には少しでも何かを感じ取って頂ければ幸いです。また、私自身の人生を振り返って見る大変良い時間を持つことができました。ここに、苫小牧駒澤大学と読者の皆様には心からの感謝を申しあげたく思います。

原稿を書き終えた今日は4月17日。とても嬉しいことに、2日後には宇宙飛行士の山崎直子さんが無事ミッションを終えて地上に帰還します。(完)

2010年4月17日 脱稿

■筆者勤務先:有人宇宙システム(株)
http://www.jamss.co.jp/
■筆者プロフィール
吉井 実   [有人宇宙システム(株)監査室長代理]
氏  名 吉井 実(よしい みのる)
生年月日 昭和24年9月3日(岩見沢市)
■学歴    
昭和 43年 3月
北海道立岩見沢西高等学校卒業
昭和 47年 3月
北海道大学工学部原子工学科卒(2期生)
■職歴    
昭和 47年 4月
日揮(株)入社 原子力事業部配属
昭和 50年 10月
茨城県東海村駐在(原子力発電所建設工事に従事)
昭和 54年 6月
国際原子力機関(IAEA)出向(オーストリア国ウイーン市)
(国際公務員として原子核物質の査察業務に従事)
昭和 58年 6月
日揮(株)復帰、北海道電力(株)泊発電所建設工事に従事
昭和 62年 6月
宇宙開発事業団(NASDA)出向
(国際宇宙ステーション計画の安全・信頼性・保全性・
品質保証管理業務に従事)
平成 2年 5月
有人宇宙システム(株)出向(同上)
平成 3年 7月
日揮(株)復帰、宇宙開発業務に従事
平成 4年 5月
ADTECHS CORPORATION出向(米国バージニア州駐在)
(米国原子力施設の核汚染水浄化施設建設工事に従事)
平成 5年 6月
同上(米国ワシントン州駐在)(同上)
平成 6年 9月
日揮(株)復帰、宇宙開発部次長
平成 11年 4月
宇宙開発担当プロジェクト部長
平成 11年 9月
日揮(株)退社
平成 13年 4月
有人宇宙システム(株)入社、企画課長
平成 15年 7月
応用化事業室長
平成 15年 10月
利用技術部長兼応用化事業室長
平成 17年 10月
監査室主幹
平成 21年 8月
監査室長代理(現在に至る)

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