深紅の旗は我にあり 香田誉士史監督と駒大苫小牧高校野球部の10年間の歩みです。
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書籍:深紅の旗は我にあり 平成16年8月夏の甲子園球場は歓喜と感動の嵐に包まれていた。深紅の優勝旗が初めて津軽海峡を渡った瞬間だった。
著者の蔵重さんは、青年監督として香田監督が苫小牧へ赴任して以来今日まで公私ともに監督を支え野球部を応援されて来られた方です。感動の夏の甲子園初優勝を機会に、平成17年7月に香田監督と野球部の10年の歩みを一冊の本として上梓されました。非売品であり書店ではお求めできませんが、苫小牧駒澤大学のWebサイトで毎月連載としてお楽しみ頂けることになりました。
■第13回 第83回全国高校野球選手権出場  著者: 蔵重 俊男
 弱小チームも予選から接戦の連続であったが、北海高校との決勝は甲子園1勝をも感じ取れる勢いでもあった。8月3日の出発までは、真夏日を予想して、札幌のNTT球場で汗を流すことになる。父母の会は短期決戦の寄付集めが待っている。協賛会を立ち上げ、教職員のご協力を得、感動を多くの方々から頂きながらの寄付集めであった。甲子園に出発する前日まで父母の会は奔走し、苫小牧市内を中心に近隣市町村の皆さんから多くのご支援を頂いた。そんな中、甲子園出場メンバーが決まり決勝戦で完投した岡本がエースナンバーをつけ志気をあげていく。

  野球部壮行会でも篠原校長が「厳しい練習の成果を出してくれました。甲子園でも夢と希望をプレゼントしてください」と挨拶。北海道勢50勝の期待のかかる一戦は、駒大先輩の澤田勝彦監督率いる過去優勝5回を誇る名門愛媛県代表・松山商業と大会2日目第4試合と決まる。暑さが少しはやわらぐ時間帯も駒澤有利とみる人も多いが、松山商業も地区大会は粘りを見せ逆転で甲子園にやってきたチームである。ハイレベルの愛媛予選を勝ちぬいてきた伝統高との一戦はとても楽しみである。香田野球が全国レベルにどこまで通用するかにある。

 地元苫小牧でも応援練習が本格化し、毎日熱の入った応援と演奏が鳴り響いている。一方、帯広三条も大会4日の第3試合で岡山県代表の玉野光南と対戦する。8月8日開会式。35年ぶりの駒大苫小牧の入場行進は、とても素晴らしい行進だった。監督も初出場だったので、かなり緊張していたのだろう。入場行進前のエピソードも監督と部長が球場の控え室にいても、どこの監督さん達もこなくてどうしたんだろうと思いながら待っていたそうだが、通りかかった方に聞いたところ主役は子供達なので監督やスタッフはスタンドで見てください、とのことであった。呆気にとられた二人は着替えをすませ何も無かったようにスタンドで開会式を見守ったと言う。監督としてやることなすこと初めてのことで、甲子園ではこの様な事からすでに戦いは始まっていた。

 大会2日目第4試合、対松山商業戦は日没でのナイターゲームを楽しませてもらった。先制されるも逆転し引き離されるも追いついて、手に汗握る大一番に一喜一憂しアルプススタンドも揺れた。前半の打撃戦から後半は投手戦となり1点を争う好ゲームとなる。駒大苫小牧は先発岡本から北田へ、制球が定まらないまま5回は4球からピンチを招いて2失点、6回にも決勝点となる1点を外野犠牲フライで失う。崩せそうで崩せない松山商業の背番号10の好投手阿部は、140キロ以上をコンスタントに投げ込み、イニング後半からは、マウンドにも慣れてきたせいか緩急をつけスイスイと回を追うごとに本来の調子を取り戻してきた。

 一方、ロングリーリーフした北田も本来の切れのあるストレートを投げ込み、一歩も引けをとらない好ゲームになった。熱い声援を受けながら1塁側のスタンドも最終回の攻防を期待するが最後の代打としてバッターボックスに入った菖蒲川は惜しくも三振に倒れ、甲子園での1勝は後輩たちに託された。1点差ゲームの内容にふさわしい大きな拍手は甲子園を更に熱くし、閉会式の挨拶にも駒大苫小牧の戦いぶりが評価された。嬉しくもあり、ありがたくも思ったのは私だけだっただろうか。

 翌日、遅い飛行機便にもかかわらず、帰苫する子供たちを父母の会を中心に校門の中で待ち受けた。車のライトを消して、バスが停車するのを待ち構えて一斉にライトを照らしして、歓迎のムードを盛り上げた。室内練習場の外灯も消していたせいか、誰も迎えに来ていないのかと思ったそうだが、監督の奥さん、ひとみさんを見るなり監督の表情が変わった。学校関係者や町内会の方達もみなさん遅くまで歓迎をしていただき、こんな幸せなことはなかっただろうなと思いつつ、何故か目頭が熱くなった。応援してくれた後輩たちと抱き合いながら思いを語り合っている姿には、純粋な高校生の思いがそこにあった。新チームの目標は「甲子園1勝」であることを確認し合って秋へと始動していくのである。

 夏の選手権が終わると、すぐさま監督、コーチ陣は新人戦へのチーム作りに汗を流していく。バイタリティーある監督は、3年生の進学や就職の事で、走り回る。家庭も顧みない日々もあり正に「母子家庭」状態である。ひとみさんから愛情をたっぷりいただいて、監督はまた、子供たちの為に自ら東奔西走、走り回っている。いくら若いといっても本当に大丈夫だろうかと思うことが度々ある。こうした監督の気持ちをもう少し理解してくれる人がいても良いような気がしていた。

 第83回の甲子園出場に関して、多くの方々にお世話になり、父母の会会長として篠原勝昌学校長宛にお礼の手紙を書かせていただいた。(原文ママ)

 このほどの甲子園出場に際しましては父母の会を始め関係各位には、多大なご配慮をいただき、誠に有り難うございました。日本旅行の今支店長様を始め、苫小牧支店の皆様にもご無理なスケジュール等をなんなくご手配いただき、野球を応援する以前の準備が出来ないことにはここまでスムーズな手配・運営はいかなかったと思いますし、篠原校長先生・小玉教頭先生・応援団の総指揮をとられた志村先生をはじめ、教職員の方々にも敬意を表したいと思います。尚、甲子園出場後援会の組織も編成され近藤会長様・荒澤顧問様・森事務長様そして副会長に選任された皆様にも多大なご協力を賜り、重ねてお礼申し上げます。残念ながら今一歩のところで古豪松山商業に敗れはしましたが、甲子園という大きな舞台で素晴らしい試合を展開し、駒大苫小牧の名を存分に全国にアピールしたことと思いますし、子供達のすがすがしいマナーも道具を大切にする仕草も、今後全国の甲子園を目指す高校球児達にも目に焼き付いたことではないでしょうか。
 父母の会も試合終了後係員の方が、もうよろしいですと何度も言われるのを無視して最後までごみ拾いをやらせていただきましたが、これらも悔しいかな?次のステップに繋がればとの思いでもありました。
 強い強いと言われ続けて殻から抜け出すことが出来なかった過去6年間全ての試合を振り返ることが多くなった今年は、私自身にとっても最後の夏でもあり7年の歳月の速さにいまさらながら驚いております。三位一体の言葉が示す通り私自身が信念に思い続けた「想念」と言う目に見えない「気」のようなものがどんどん子供達と監督の一体感を後押ししていたように思います。確かに試合の流れも勢いが加速されていくのが見えてきましたし、全ての一体感を表した結果でもあると思います。さらに父母の会の皆様には私の考えを理解していただき監督を中心としたバックアップ体制とスケジュールを皆さんのご協力の下で実施できたことはこの上ない喜びでもあります。子供たちも親も駒澤高校野球部の全ての関係者が統率に導いていかなければ今日の甲子園は見えてこなかったのかもしれません。(中略)
 追伸
 私自身の子供二人が駒澤高校でお世話になり更には歴代部長の石塚様、山本様、そして江口様を始め、野球を通して学校関係各位には大変お世話になりました。香田監督には近代野球をご指導いただきもう一つ上の野球をやるための基礎を育てていただきましたことはこの上ない喜びであります。こうした指導者は二度と現れない様な気がいたします。今後は家庭と教育者としての野球指導をさらに向上させ様々な人との出会いで自分自身の人生観を創り上げ学校を中心とした地域発展のために誠心誠意努力していただくことをお願い申し上げ、甲子園出場に際してのお礼と駒澤高校及び野球部のさらなるご発展をお祈りいたします。香田誉士史と言う男は頑固で無鉄砲で気弱な所もありますが、人間として素晴らしい心を持った奴です。今後も私個人としても末永くお付き合いさせていただくことになると思いますので、宜しくお願い申し上げます。
駒澤大学付属苫小牧高等学校
学校長 篠原 勝昌 様
  平成13年11月19日
駒澤高校野球部前父母の会会長 蔵重 俊男

=全26回シリーズ・深紅の旗を勝ち取るまでに、さらに物語はつづく・・=
■筆者プロフィール
氏  名 蔵重 俊男
住  所 苫小牧市新明町4丁目20番13号
連 絡 先 0144-55-5069
生年月日 昭和25年6月20日【55歳】
出  身 厚真町
厚真中央小学校・厚真中学校・苫小牧工業高校・昭和44年卒業
大昭和製紙(株)本社鈴川工場(S44年4月〜47年12月)
蔵重自動車(S48年1月〜59年12月)
苫小牧スバル自動車(株)【(現)北海道スバル(株)苫小牧西店】(S60年1月〜現在に至る)
趣  味 野球鑑賞・少年野球指導者・少林寺拳法
蔵重 俊男著者からのコメントはこちら

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