深紅の旗は我にあり 香田誉士史監督と駒大苫小牧高校野球部の10年間の歩みです。
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書籍:深紅の旗は我にあり 平成16年8月夏の甲子園球場は歓喜と感動の嵐に包まれていた。深紅の優勝旗が初めて津軽海峡を渡った瞬間だった。
著者の蔵重さんは、青年監督として香田監督が苫小牧へ赴任して以来今日まで公私ともに監督を支え野球部を応援されて来られた方です。感動の夏の甲子園初優勝を機会に、平成17年7月に香田監督と野球部の10年の歩みを一冊の本として上梓されました。非売品であり書店ではお求めできませんが、苫小牧駒澤大学のWebサイトで毎月連載としてお楽しみ頂けることになりました。
■第14回 甲子園出場後の秋の地区予選  著者: 蔵重 俊男
 35年ぶりの甲子園出場は単なる出発点でもあり、「結婚」そして待望の男の子「太河」が誕生し、この1年間は監督の人生の中で、忘れることのできない年となった。

 新チームは甲子園でも活躍した熊原陵太が主将として統率していく。安定感を取り戻した平山が主戦としてチームを引っぱり、140キロの伸びのある速球を投げ込み、自信が更に一回りも二回りも大きくしていく。実践を重ねていくことで、不安定要素があった杉山も平山に匹敵するエース格に名乗りを上げてきた。こうなると、1年生白石も負けじと飛ばし、130キロをコンスタントに出してきた。監督の言う競争心が芽生え始めてくる絶好の時を迎え、それぞれが打撃でもしのぎを削っていく。こうした投手陣に負けじと野手たちも刺激されて相乗効果が生まれてくる。第54回秋季大会はどこよりも遅く新チームが始動していく。

 夏春連続甲子園出場を目指し地区予選は平山の快速球がさえわたり、初戦室蘭清水丘を5回10−0とコールド発進する。打線も小岩豪の右中間3塁打で決着をつけた。2回戦は平山とコンビを組んでいた捕手の本間から齋藤奨がマスクをかぶり好リード。珍田大吾の本塁打や山本雄飛の2塁打そして九つの盗塁を見せ付け9−2で浦河を5回コールドで破った。新鮮さを感じるチームカラーになってきた。準決勝、苫南も10−0の6回コールドで退け、代表決定戦は、好投手鬼海を擁する鵡川との対戦。齋藤奨の3塁打などでチャンスを作り、その後も再三のチャンスがありながらここ1本のヒットが出ず、平山の好投むなしく1−2で敗退する。

 全道に進出した鵡川は初戦、中標津を8−1、2回戦は国際情報を池田の本塁打などで4−3と接戦を制した。準々決勝は駒大岩見沢と対戦するも、連投の鬼海が15安打を打たれながら駒大岩見沢打線の要所をしめていく。攻撃では、上伊沢―半田のバッテリーにチャンスをつかみならも接戦の末、6−7と惜敗した。しかし、ここまでの経験を生かした佐藤茂冨監督の熱血指導は、近い将来、甲子園出場を感じさせた。駒大苫小牧も平山を中心に走攻守揃ったチームがこの冬をどのように過ごすかが一番の課題で、投手陣の競り合いと全体のコミュニケーションをかみ合わせチームの結束を図っていく。

 夏の選手権が終わり慌ただしい秋季大会まで投手陣の仕上がりも十分でなかったが、平山を中心にまとまりを見せていた。冬に入るといつもの年よりも体調をくずし風邪をひく者が増えていく。体調管理をしながら恒例の郵便局へのアルバイトを済ませると新年度の入部希望者がポツリポツリ練習を見に来る。室内練習場と野外でのノックが春の合宿を待ちわびている。

=全26回シリーズ・深紅の旗を勝ち取るまでに、さらに物語はつづく・・=
■筆者プロフィール
氏  名 蔵重 俊男
住  所 苫小牧市新明町4丁目20番13号
連 絡 先 0144-55-5069
生年月日 昭和25年6月20日【55歳】
出  身 厚真町
厚真中央小学校・厚真中学校・苫小牧工業高校・昭和44年卒業
大昭和製紙(株)本社鈴川工場(S44年4月〜47年12月)
蔵重自動車(S48年1月〜59年12月)
苫小牧スバル自動車(株)【(現)北海道スバル(株)苫小牧西店】(S60年1月〜現在に至る)
趣  味 野球鑑賞・少年野球指導者・少林寺拳法
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