深紅の旗は我にあり 香田誉士史監督と駒大苫小牧高校野球部の10年間の歩みです。
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書籍:深紅の旗は我にあり 平成16年8月夏の甲子園球場は歓喜と感動の嵐に包まれていた。深紅の優勝旗が初めて津軽海峡を渡った瞬間だった。
著者の蔵重さんは、青年監督として香田監督が苫小牧へ赴任して以来今日まで公私ともに監督を支え野球部を応援されて来られた方です。感動の夏の甲子園初優勝を機会に、平成17年7月に香田監督と野球部の10年の歩みを一冊の本として上梓されました。非売品であり書店ではお求めできませんが、苫小牧駒澤大学のWebサイトで毎月連載としてお楽しみ頂けることになりました。
■第21回 4146校の頂点に立つ 著者: 蔵重 俊男
 いよいよ甲子園大会が迫ってくる。なんとしても甲子園1勝を北海道勢としての50勝をこの目で見たくて初戦の佐世保実業戦に駆けつけた。試合前日、高校のクラブ後援会や大学の野球部後援会の事務局をやっている手嶋さんと一杯交わしながら過去を振り返り、梅田駅の居酒屋で酌み交わしたお酒の味が忘れられない。ホテルに帰ろうとした時、手を振って前から歩いてくる二人の女性が目に付いて、よくよく見ると茶木副部長のお母さんと奥さんの和未さんだった。「祝勝会やるよ」と誘われ4人でまたまた梅田駅の居酒屋に繰り出して閉店まで飲んだ。こんな心地のいい酒は久しぶりだと思った。今日の監督はもう休んだであろうか?それとも、昨年の負けたビデオを見ながら心の高ぶりを感じているだろうか?「勝たせてやれなかった」と悔やんでいた時の自分を思いだしながら、過去を捨て「前進あるのみ」と気持ちを切り替えているだろうか?と思いながら私は寝つきの良いベッドに入った。翌日はバス移動し、いつものバス停から歩いて行く球場までの道のりは軽く感じ、83回大会に歩いた帰り道をふと思い出した。負けた時の足取りは重く、応援団にはそんな思いはさせたくないなと脳裏をかすめる。

 監督のお母さんとも甲子園で会うことを約束し試合中にはお会いすることが出来なかったが試合が終了しアルプススタンドの出口で待っているとすぐさまお会いすることが出来た。元気そうな様子だが、腰の状態があまりよくないとも言いながら二人の孫を引き連れて甲子園にやってきたのだ。監督のお母さんの顔を見るとなんとも言えない嬉しさが込み上げてくる。お母さんと監督の苦労したときの事がすぐさま蘇ってくるからだ。

 昨年のあの1戦があったからこそ子供達の気持ちは、夏1勝することによって全てが解放されていく。甲子園の高校野球ファンなら昨年の倉敷工業戦をおぼえていてくれる。その悔しい思いがどんどん後押しされていく。一戦一戦たくましくなっていく子供達の姿、初戦の長崎県代表・佐世保実業戦は、どっしりと、落ち着いた試合を展開し、総合力で7−3と破り、そして西東京代表・強豪日大三高に引けのとらない強打と、しっかりしたディフェンスで8回表の1死1、3塁もスクイズを外した好プレーは見逃せない。そして岩田―鈴木の投手リレーで最後のバッターを三振に取ったシーンは、いまだに思い出される。7−6と接戦を制した。

 神奈川県代表・横浜高校との準々決勝でも糸屋のスクイズはずしが再び見ることが出来た。2点リードの3回裏の守りで1死3塁から2度もスクイズを見破った野球勘は、名将渡辺監督さえも腕組みし、うつむいていたシーンが印象的だった。岩田の好投と林のサイクル安打で圧倒的な強さを見せ、今大会ナンバーワン右腕の涌井投手を打ち崩し6−1と勝利しベスト4に進出した。準決勝の東海大甲府戦は「勢い」で乱打戦に決着をつけ、10−8とまさに香田野球が目指す「攻撃野球」を堪能させてもらった。

 決勝戦は春優勝の愛媛県代表の済美戦。相手にとってはなんの不足もない。「ここまできただけでも幸せであり、後は優勝か準優勝しかない」と前日のミーティングで子供達には「どちらにしてもすごいことなんだ」と冷静に闘将は分析していたという。こうした冷静な考え方が随所に好プレーを生む、子供達の底知れぬ能力を発揮していくことになる。

 大観衆の中、済美は春夏連覇のプレッシャーを抱えながら決勝戦が始まった。このような経験はなかなか味わえないなと思いつつも、闘将はじっくりと子供達を見渡せる環境にあった。もう1試合目とは違い、わたわたしていないし、2戦目以降じっくりと自分が落ち着いていることで、子供達も伸び伸びやってくれているしゲームの流れも読めている。佐賀のお兄さんからも「やるのは子供達じゃけん」と助言され、ベンチの近くには佐賀商業時代の「うるさかぁ」同級生達も陣取っているが、不思議と耳障りにならないし、佐賀商業コーチ時代に全国優勝したときの雰囲気をじっくりと味わっている。そばには田中公士先生も見守ってくれている。そして大応援団と甲子園全体が、駒大苫小牧と自分を常に後押ししてくれている空気が漂っている。5万2千人あまりの人たちと一緒に戦っているような、球場全体が異様な光景になっているのも冷静に実感できたという。
 私が監督に常日頃話ししている「想念」が目に見えない「気」となってあらわれている。そんな状況もじっくりと腰を落ち着かせて「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせているのが伝わってくる。

 シーソーゲームも第三者的な立場で見ることができ最終回、済美の攻撃もここで大会ナンバーワンスラッガー鵜久森に一発打たれても良い。同点になっても延長戦でサヨナラだと冷静にイメージを繰り返していた。もし、サヨナラゲームになれば、それこそ「歴史に残る大試合だ」とそうした状況になっても必ず勝つゲームのシナリオも落ち着いて脳裏に焼き付けていた様だ。しかしながらそのシナリオは崩れた。
 大歓声が甲子園全体に響き渡り、鵜久森の打球は高々と舞い上がりショート佐々木孝介のグラブにおさまった。鵜久森のバットが僅かにボールの下を叩いた時、勝利の女神が舞い降りた。13−10の打撃戦ではあったが随所に、両監督の試合の読みがプレーに現れ、球史に残る見ごたえのある大試合であったように思う。

 その瞬間は、もう涙はおさえきれず感無量となっていた監督である。フラッシュの雨、報道陣の数と周りは何がなんだかわからないという状況になっていた。もうすっかり純粋な子供にかえりカメラの前でも大泣きした。「ありがとう、どさんこ頑張りました」、この一瞬のためにどれだけの努力をしてきたか。多くの人たちに助けられながら彼の「努力」と「精進」で香田野球を創りあげてきた。野球を通して精神的にも「強靭な心」を作ることにも成功した。苦節十年と言う言葉があるように成し得た偉業に、閉会式に降り注いだ雨も深紅の大優勝旗が86回大会の感動に嬉し涙を流しているように思えてならない。

 この優勝旗のために全国4,146校がと思う度、私自信感情を抑えることが出来なかった。深紅の会の梶川会長とも長い間支えてきて良かったと喜びを爆発させた一瞬でもあった。

 決勝戦の前日、梶川会長と二人で一杯酌み交わした。そのとき「なぜ俺達二人ここにいるんだろうな、明日は決勝戦だというのに」とぽつりぽつりと話しながら過去を振り返った。監督と同じ心境で、ここまできたら勝っても負けてもすごいことであり、もし勝ったら深紅の会は紫紺の会に変えようかと冗談をとばしながら、なぜか涙していた。

 前日にあれだけ涙したにも関わらず優勝の瞬間どんどん涙が流れてならなかった。10年間監督の苦労を知っているからこそ涙が出てくる。73名の部員をまとめた主将の佐々木孝介もここまでよく頑張ったなぁと思いながら、孝介も兄の後を追いながら駒大苫小牧に来て監督の教えを守り、よくぞ耐えてきたと思った。孝介も「ありがとうございました」と冷静に笑みを浮かべていたのが印象的だった。千歳空港での出迎えもごったがえしの状態で、空港から学校へと数千人の人たちで道路も交通整理され大パニックとなっていた。

 飛行機に乗る前にも監督から電話があり「ありがとうございました。これから帰りますので」と、いつもの監督の声に戻っていた。地区大会が始まり「深紅の会」で監督を送り出し、帰ってくるまで、いろんな意味があって、私から大会中に監督には一度も電話をしたことがなかった。今回の優勝で周りの人たちへの気遣いと人一倍心配りをする監督だから、忙しい中でも必ず電話が入ってくる。私以上に大切な人への報告は忘れていないかな?と時々ジャブを入れる。今では満面の笑顔で応えるようになってきた。その笑顔で選手を引き連れ、学校の玄関をくぐって来た。

 学校での優勝報告会もイベント広場は大混乱となり、各新聞社やテレビ局が陣取りを行っていた。バスから降りてくる監督をはじめ選手達がまぶしく見えてきた。先頭で花道を通る篠原勝昌校長と、一粒種の太河をしっかり抱いた監督と、玄関先でようやく元気な顔を見て一言二言話しができた。一人一人に「お疲れさん」というと皆元気に笑顔で応えてくれた。江口部長、茶木副部長、茂木コーチも日焼けした元気は姿を見せてくれて、ようやく安心した。

 割れんばかりの大声援の中、深紅の大優勝旗を披露し、江口部長の興奮した口調での優勝報告は実に素晴らしかった。津軽海峡を飛行中に、全日空のアナウンサーが深紅の大優勝旗が津軽の海を渡っていることを機内放送したことを知らされ、これまた感動した。佐々木主将から学校長へ優勝旗を手渡して一人一人のコメントも、はやることなく落ち着いて誰ひとりはしゃぐ姿は見られなかった。こうしたところにも監督の普段の教えが垣間見られた。多くの方々から花束の贈呈が行われ無事報告会も終わり、帰ろうとしている時、小玉教頭が新聞記者の方々に私のことを「この人が長い間、香田監督を支えてくれた方です。皆さんよろしくお願い致します」と紹介してくださり驚いた。その中である新聞社の方が監督とのお話しをお聞かせくださいと歩み寄ってきた。楽しいはずの会話がなぜか自然に涙が流れてしまい、記者の方には大変ご迷惑をおかけしたなぁと思い、この場を借りてお詫び申し上げたい。その後、深紅の大優勝旗は北海道庁や苫小牧市役所などで優勝の報告をし、歴史的な快挙に道民が酔いしれていた。

=全26回シリーズ。奇跡の歴史はこれからまだまだ続く・・・=
■筆者プロフィール
氏  名 蔵重 俊男
住  所 苫小牧市新明町4丁目20番13号
連 絡 先 0144-55-5069
生年月日 昭和25年6月20日【55歳】
出  身 厚真町
厚真中央小学校・厚真中学校・苫小牧工業高校・昭和44年卒業
大昭和製紙(株)本社鈴川工場(S44年4月〜47年12月)
蔵重自動車(S48年1月〜59年12月)
苫小牧スバル自動車(株)【(現)北海道スバル(株)苫小牧西店】(S60年1月〜現在に至る)
趣  味 野球鑑賞・少年野球指導者・少林寺拳法
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