深紅の旗は我にあり 香田誉士史監督と駒大苫小牧高校野球部の10年間の歩みです。
バックナンバーはコチラ
書籍:深紅の旗は我にあり 平成16年8月夏の甲子園球場は歓喜と感動の嵐に包まれていた。深紅の優勝旗が初めて津軽海峡を渡った瞬間だった。
著者の蔵重さんは、青年監督として香田監督が苫小牧へ赴任して以来今日まで公私ともに監督を支え野球部を応援されて来られた方です。感動の夏の甲子園初優勝を機会に、平成17年7月に香田監督と野球部の10年の歩みを一冊の本として上梓されました。非売品であり書店ではお求めできませんが、苫小牧駒澤大学のWebサイトで毎月連載としてお楽しみ頂けることになりました。
■第22回 「深紅の会」優勝祝賀会 著者: 蔵重 俊男
 8月28日には深紅の会の優勝祝賀会が市内のホテルで行われた。監督の挨拶の中で卒業された子供たちの父母の方々に感謝とお礼を述べ皆様のおかげで永遠のテーマである「深紅の大優勝旗」を北海道に持ち帰ってくることが出来たことを話され感無量となった。太河くんを抱いての挨拶も「深紅の会」ならではのことであり、微笑ましい一場面であった。そして深紅の会の皆様へと監督のお母さん、武藤美智子さんより祝電をいただき、これまた感動した。

 乾杯の音頭をとって祝宴に入った頃、更にびっくりすることが起こった。司会の野球部父母の会新会長高野洋道氏から駒大野球部太田誠監督、苫小牧中央院荒澤義範住職、そして苫駒大の大滝敏之監督の3名がお祝いに駆けつけくれた事を紹介された。

 早速太田誠監督にお祝いのご挨拶をいただいた。監督いわく「深紅の会」というのは優勝したから今日この会が催されたと思っていたらもう5年も前にこの「深紅の会」が出来ていたことに驚いたという。いろんな方々に優勝したことによって太田監督に対しても「おめでとう」いわれ私自身、香田監督に感謝を申し上げたい気持ちでいっぱいだと話された。あの大監督が自分の教え子の香田監督に頭を下げるなど考えられない事だと思った。1ヶ月前、太田誠監督はある言葉を使っていることに気が付き、今年は「野球維新」の時代で「明治維新」を思い、新しいものをどんどん取り入れていくことが今大切であることを話され、この優勝に際しても監督の教え子とか、そんな話ではなく、どのようにして子供達の心を捉えてこのような結果を出したのか香田監督に教えてもらいたく、そしてお祝いも言いたくてはせ参じたという。なかなか大監督が言えるような言葉でない事をぽんぽん切り出してくる。10年前のいきさつを話され、佐賀の人間が北海道に来て純粋に野球に取り組んでこうした結果を生んだことに感銘を受けていた。野球って素晴らしいなぁ、日本の野球って素晴らしいなぁと感動しつつ香田監督が初めて甲子園に出場し、松山商業との対戦の時も甲子園に駆けつけていた。今日の優勝はあの松山商業との対戦があったからこそ今があったと何度も話されていた。そのとき同じ教え子の澤田監督の所へ勝ったお祝いを言うのではなく負けた香田監督のベンチ裏へと駆けつけ子供達に「よくやった、よくやった」と励ましていた時の話をされ、そうした思いと皆さんの後押しがこうした結果を生んだ事を認識して欲しいと話された。

 次に荒澤住職の話は初戦は8月12日ということで、お盆の最中お参りをしている時になぜか得点が入っていたと笑いを誘い、8月16日はそれこそ、お寺の最盛期でお説教も野球の話で終わっていたことにあとになって気が付いたと話され、8月22日の決勝は11時に伊丹空港に着くはずの飛行機が25分間旋回し、更に、今しばらく旋回することを知らされ、一緒に行った一人はバッグの中から財布を出して背広の内ポケットに入れ、自分の身元が分かるように準備していたらしい。その後無事着陸したが、今度は牽引車で到着口に引かれて行ったという事をリアルに話し、もしそのとき事故があったら今日は初七日だったと、またまた笑いを誘った。タクシーを飛ばし、なんとか球場に着き、試合はものの見事に勝ち、傍には高橋知事がいて、二人目の子をお腹に抱えた橋本聖子議員が感激のあまり、大きく手を開き篠原校長、荒澤住職と次々と抱き合っていたという。野球でなかったら、それこそセクハラだと、更にお笑いを誘った。

 話はエスカレートしオリンピックの100メートルの決勝で日本人が優勝した時と同じような事を香田監督がやってのけた。毎年、必勝祈願でお参りに来た時、いつも野球部員全員のシューズが入り口にきっちりとものの見事にならんでいる。この時「野球以外の素晴らしいハートを持った子供達を育てあげてきたんだなぁ」といつも感心していたと言いつつ、語気を強めていた。こうしたさりげない子供達の行動は、香田監督が北海道に来てから一貫して言いつづけてきた事が今では伝統にもなっていくのであろう。「深紅の会」も終わりに近づき、全員で恒例の応援歌を歌った。「♪♪九州男児が誓いをたてて、北の大地で花をさかそう♪・・・・・・」と、そして太田誠監督、荒澤中央院住職、大滝敏之監督を送り出し閉会した。二次会も市内の居酒屋で一杯酌み交わし、今度は校歌を歌いながら思い出話に花が咲き、いくら時間があっても足りない様子だった。こうして心を同じくして会員も「次は選抜決定したら」と監督にプレッシャーをかけて切り上げた。その後、監督のお母さんに「深紅の会」の祝勝会のビデオを送った。すると、我が子の満面の笑顔を見て「誉士史は幸せ者です、あのような笑顔は見たことがない」と話され「皆さんとこうした会を通してお世話になって本当に幸せなことはない」と何度も電話の向こうで声を弾ませていた。また甲子園で会いましょうと約束をして電話を切った。

 あの高校にいけば、あの指導者の所へ行くことで、社会に出ても立派に通用する人間として認められる、こんな素晴らしいことはない。また、甲子園に行く為に駒大苫小牧の野球部に入部するという子供達も増えてくるのも致し方ないが、学校経営としては嬉しい話になる。時代が変わろうとも「明治の人間」のハートを持った香田監督は純粋に野球を愛する子供達といつも心を少年のようにしてパフォーマンスしている姿は、今日も変わっていない。

■お知らせ■
日頃より「深紅の旗は我にあり」をご愛読いただきまして心より厚くお礼を申し上げます。
2008年1月の掲載は正月をはさみますので1回お休みとさせて頂きます。次回は2月上旬から連載スタートです。どうか、来るべき新しい年が読者の皆様にとりまして、素晴らしい年でありますよう念願しております。
■筆者プロフィール
氏  名 蔵重 俊男
住  所 苫小牧市新明町4丁目20番13号
連 絡 先 0144-55-5069
生年月日 昭和25年6月20日【55歳】
出  身 厚真町
厚真中央小学校・厚真中学校・苫小牧工業高校・昭和44年卒業
大昭和製紙(株)本社鈴川工場(S44年4月〜47年12月)
蔵重自動車(S48年1月〜59年12月)
苫小牧スバル自動車(株)【(現)北海道スバル(株)苫小牧西店】(S60年1月〜現在に至る)
趣  味 野球鑑賞・少年野球指導者・少林寺拳法
蔵重 俊男著者からのコメントはこちら

上へ移動↑