深紅の旗は我にあり 香田誉士史監督と駒大苫小牧高校野球部の10年間の歩みです。
バックナンバーはコチラ
書籍:深紅の旗は我にあり 平成16年8月夏の甲子園球場は歓喜と感動の嵐に包まれていた。深紅の優勝旗が初めて津軽海峡を渡った瞬間だった。
著者の蔵重さんは、青年監督として香田監督が苫小牧へ赴任して以来今日まで公私ともに監督を支え野球部を応援されて来られた方です。感動の夏の甲子園初優勝を機会に、平成17年7月に香田監督と野球部の10年の歩みを一冊の本として上梓されました。非売品であり書店ではお求めできませんが、苫小牧駒澤大学のWebサイトで毎月連載としてお楽しみ頂けることになりました。
■第23回 新たな歴史づくりがスタート 著者: 蔵重 俊男
 監督自身も多忙な毎日を過ごされ実質数週間の練習と4試合の練習試合を消化して秋の大会に臨まなければならなかった。連係プレーも何もあったもんじゃない。「こんなチームここ数年間見たことないなぁ」と言う私達の評価であったが、接戦を重ねていくうちに初戦の室蘭大谷、苫工と1点差ゲームを勝ち抜いていった事でどんどん粘りが出てきた。初戦の室蘭大谷戦は9回2アウトからの絶体絶命のピンチも五十嵐の快打で追いつき延長戦の末、甲子園ベンチ入りの辻が延長11回サヨナラ打で底力を見せつけた。苫工戦も先制され苦しい展開の中、松橋、吉岡、田中と繋いで初戦に続き1点差ゲームをものにした。この試合の後、監督は「しばらく負けることを忘れていたが、9回2アウトになって負けるという時はこんな感じだったなぁ」とポツリ心の中でつぶやいていたという。それも一瞬の心の迷いで子供達が先輩の勢いをこの新人戦でも見せつけてくれた。そして新キャプテン、サイクル安打の林がチームを徐々にまとめていく。林の迷いも主将のプレッシャーも徐々に監督の配慮で暗いトンネルを抜け出していく。あれよあれよという間に決勝は伊達緑丘との対戦で松橋が奪三振16をマークして快勝し無難に乗り切った。

 そして全道大会も一番良いくじをひいている。札幌第一、北海、駒大岩見沢、北照と錚々たるブロックに入り込んだ。最終的にはどことあたっても同じなんだとは言っているが、この大きな山は異常に厳しい。くじ運の弱さは、しっかりと先輩から受け継いでいる。3年生は国体出場もあり、毎日練習を継続し新人戦の応援も混乱を招く、という理由で球場にはいけない状態が続いていた。ちょっとかわいそうだなぁ、と思いつつも、これも仕方の無いことである。後輩を心配する3年生だが新人戦もやはり地区予選が苦労し、全道ではこの大きな山も打線が繋がるようになり一戦一戦地区予選のような走塁ミスもなくなってきた。初戦、好投する吉岡俊輔を本間蔦史(1年)の本塁打と3塁打で快勝する。2回戦は駒大岩見沢を2−0で完封し、さらに北照を6−4で破った強い北海との対戦。さて監督はどのように仕上げていくのだろうか。序盤に3点リードし松橋の緩急つけた投球で3安打完封してしまった。さらに知内との準決勝は19安打で吉岡、岡川と継投し圧倒的な強さで5回コールドで決勝戦に臨む。決勝は初めての決勝進出で波に乗る札幌藻岩だが、林主将の4安打6打点で勝負を決め、春夏秋と完全制覇も達成した。1月31日の甲子園への選抜切符もほぼ手中におさめ実に公式戦27連勝となった。神宮大会のキップを掴み一昨年以来2度目の快挙も達成する。

 試合をこなしていく上でセンターラインができあがってくると、香田野球の仕上がりは速くなり後は攻撃面を鍛えていく。野球の繊細さと基本に忠実に毎日毎日同じことが繰り返されていく。個性を尊重しお互いが刺激しあい競争心を高め「努力する者を惜しまず試合で使っていく」、そして子供達もそれに応えて結果を出す。「努力を怠るものには、その権利がないわけである」。茶木副部長、茂木コーチもこの新人戦の仕上がりには、かなりの気遣いを余儀なくされ、力が入ったという。目を覆う場面もあり、まだまだ3年生との力の差は歴然で、神宮大会で全国レベルの感触をつかみとってくる。そして次のステップへと飛躍していく段階になってきた。

 第35回明治神宮大会は11月12日から代表10校で競われる。優勝校の地区には来週の選抜甲子園大会の「神宮枠」が1校与えられる。初戦、愛媛代表の新田に対して、本間の2本の本塁打を含めて、10−2の8回コールドで勝利し2回戦は、ブラジル人留学生を擁する東北の羽黒(山形)と対戦し敗れはしたが、1年生田中の好投が光り、この冬の成長が楽しみである。

 9月の新人戦が始まるある日のこと、4年程前の教え子の父親が体調を崩して入院し、手術をしたことを監督が知らされ、私の所に電話をかけてきた。私も知っていたが、今は新人戦で一番大事な時と思い知らせずにいたが、なんとしてもお見舞いに行くと言う。監督は、練習着のまま、私と二人で私立病院へ向かった。前日に胃を4分の3も切除する大手術をしたばかりなのに、監督と私の前では以前のような気丈なところも見せていた。馬力があって我慢強い人であったが、その後1カ月半後に急死された。白老町の野本方明さん61歳であり、ご冥福をお祈りする次第です。通夜の席で奥さんと一言交わしたが監督の気持ちに亡くなった夫も、とても感謝し嬉しかったと何度も話されていたという。こうした気遣いが彼の母親と同じようにいろんな人から好感を得ている一つの要因かもしれない。人を大切にする一番大事な心は、母親からしっかりと受け継がれているようだ。

 秋の大会も先輩たちの勢いを借りて波に乗り林主将を中心とする結束を固め、ついに全道の頂点を極めたのだから、このチームの底力は並大抵のものではないなと感じ取った。まだまだ伸び盛りのこのチームは、監督とコーチ陣の結束をより強くし、この秋を熱くしたようにも思えた。一冬越すことで監督、コーチ陣の目を釘づけにする選手が何人も出てきて欲しいし、そうした競争心の中で選抜の朗報も聞きたいものだ。今回も「深紅の会」は監督の意向で選抜発表の日に開催された。昨年と同じ場所で縁起を担いで会員がこぞって集まっていただいた。数時間、道のりかけて毎回出席してくる人たちは監督の顔を見て安心して帰っていく。何とも不思議な光景であり全国優勝したからとか甲子園に出場したからというだけでなく集まってくる。今回の甲子園出場に際しても監督のコメントは冷静にとらえており、全く新しいチームでのスタートで周りの期待も大きいが、目指すは永遠のテーマである全国優勝に変わりなく、常にチャレンジャーとしての気持ちをもって戦っていく姿勢を強調していた。その目先には、やはり3年生最後の夏の選手権への思いが込められているようにも思えてならなかった。

 今年の合宿はマラソンランナー高橋尚子選手の合宿場所でもある徳之島で始まった。下見に行った監督も素晴らしい環境で練習が出来ることに感謝し、選抜に照準を合わせていく、しかしながら、故障者の多いことが指揮官を悩ませていた。二次キャンプは最終仕上げで、甲子園に乗り組む前の練習試合の内容で、メンバーを決めるにも、これだけの故障者だと大変だと思った。ある日、いつも監督がお世話になっている王子病院の専門医鈴木先生とキャンプに連れて行く、行かないで主力の「辻選手」を巡って話し合っていた。結局、治療に専念することになったが、他にも捕手の津嶋が肩の違和感でボールを投げられないでいる。合宿で手を怪我した右翼手の丸山など、こんな状態で選抜は大丈夫なのか、とつくづく思った。もう見切り発車も仕方ないだろうなとも第三者的には思っていた。夏春連覇と新聞紙上では毎日のように掲載されているが、冷静な監督の心境はどうだったのだろうと人には言えないものも見え隠れしていた。そんな中、第6回アジアAAA野球選手権大会(9月・韓国ソウル開催)で監督には明徳義塾の馬渕史郎氏(49歳)コーチに岡山城東の山崎慶一氏(47歳)と香田監督が選ばれ委嘱された。北海道からは、駒大岩見沢の佐々木啓司監督についで二人目となる嬉しい話である。

=26回シリーズ。物語はさらに続く・・・・=
■筆者プロフィール
氏  名 蔵重 俊男
住  所 苫小牧市新明町4丁目20番13号
連 絡 先 0144-55-5069
生年月日 昭和25年6月20日【55歳】
出  身 厚真町
厚真中央小学校・厚真中学校・苫小牧工業高校・昭和44年卒業
大昭和製紙(株)本社鈴川工場(S44年4月〜47年12月)
蔵重自動車(S48年1月〜59年12月)
苫小牧スバル自動車(株)【(現)北海道スバル(株)苫小牧西店】(S60年1月〜現在に至る)
趣  味 野球鑑賞・少年野球指導者・少林寺拳法
蔵重 俊男著者からのコメントはこちら

上へ移動↑