深紅の旗は我にあり 香田誉士史監督と駒大苫小牧高校野球部の10年間の歩みです。
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書籍:深紅の旗は我にあり 平成16年8月夏の甲子園球場は歓喜と感動の嵐に包まれていた。深紅の優勝旗が初めて津軽海峡を渡った瞬間だった。
著者の蔵重さんは、青年監督として香田監督が苫小牧へ赴任して以来今日まで公私ともに監督を支え野球部を応援されて来られた方です。感動の夏の甲子園初優勝を機会に、平成17年7月に香田監督と野球部の10年の歩みを一冊の本として上梓されました。非売品であり書店ではお求めできませんが、苫小牧駒澤大学のWebサイトで毎月連載としてお楽しみ頂けることになりました。

■第26回 回想                     著者: 蔵重 俊男

夏の選手権は(財)日本高等学校野球連盟、朝日新聞社の主催、地元苫小牧民報社や北海道新聞社をはじめ道内の新聞各紙も、平成16年夏の快挙をこの時とばかりの見出しで猛烈にアピールし一部の雑誌を通して、570万道民の盛り上がりも最高潮となり、あらためてマスメディアのすごさも痛感した。国民的スポーツの野球の中でも高校野球ファンと野球には無縁の人たちまでもがこれほどまでに感動をいただいた大会は過去にはなかったように思え、暗い不況の世の中に光明をさし、多くの方々に感動を与えてくれました。開校40周年を記念するかのような優勝は、学校関係者にとっても二重の喜びを表現し、この偉業は永遠に北海道民はもとより全国の高校野球ファンに鮮明に語りつがれていく事と思います。「努力」「精進」そして「感謝」の念を忘れない香田野球は、野球を通して世の中に人としていかに通用する心を持った子供達を送り出すか、に彼の最終目標があり、更なる進化を続け多くの人に感動を与えてくれるものと思います。「香田誉士史よありがとう」と今の彼にささげる言葉はこれが一番お似合いかも知れないな。「ありがとう」監督と悔し涙を流した回数は数知れず円山での思い出は1996(平成8)年の夏、北海に敗れての悔し涙、1998(平成10)年の春・夏・秋、1999(平成11)年の春、夏・秋のベスト4、2000(平成12)年の夏、そして2001(平成13)年の夏の選手権は監督として初めて全道の頂点に立ったときの嬉し涙を流した円山球場、全て負けることから一つ一つ逞しくなっていく姿がそこにあった。甲子園でのリベンジも先輩澤田監督率いる松山商業戦での負けから始まった。2002(平成14)年秋、全道優勝選抜初出場、2003(平成15)年夏、全道優勝春、夏連続甲子園出場、2003(平成15)年秋準優勝、2004(平成16)年春季大会全道初優勝、2004(平成16)年夏の甲子園での選手権全国優勝、そして秋、全道優勝で3季連続の全道優勝を飾り選抜決定の日を待ちわびていたあの時。「甲子園は永遠のテーマ」ではるが、常に高い目標をおいて春は紫紺の旗、夏は深紅の大優勝旗を思うがゆえに、それなりの人間形成を高校生活の3年間の中で創り上げていく。太田誠駒澤大学監督の「姿」「声」すなわち「心」をあらわすと書かれた色紙には、その人の「姿」や「声」がその人間の心をあらわすものだという教えは、彼の野球人生の中で強力なサポート役になっていたに違いない。私達も一つの高校野球を通して多くの感動をいただいた。その中でもどんな環境下にあっても努力する事によって、光明をさし大きな金字塔を掲げることにもなっていくことが実証された。高校野球の素晴らしさは「ひたむきに野球を愛する者たち」の原点がそこにあるからに思えてならない。日本経済はまだまだ厳しい一途をたどっているが、この一瞬でも心を一つにして、道民が酔いしれた偉業に「深紅の旗は我にあり」と夏の陽ざしを受けながら、あの日を思い出し「乾杯」したいと思います。 (完)

=次回は、出版時に同時に収められている筆者お礼の一文を掲載いたします。=

■筆者プロフィール
氏  名 蔵重 俊男
住  所 苫小牧市新明町4丁目20番13号
連 絡 先 0144-55-5069
生年月日 昭和25年6月20日【55歳】
出  身 厚真町
厚真中央小学校・厚真中学校・苫小牧工業高校・昭和44年卒業
大昭和製紙(株)本社鈴川工場(S44年4月〜47年12月)
蔵重自動車(S48年1月〜59年12月)
苫小牧スバル自動車(株)【(現)北海道スバル(株)苫小牧西店】(S60年1月〜現在に至る)
趣  味 野球鑑賞・少年野球指導者・少林寺拳法
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