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蔵重俊男さんのビタミン・エッセイ新シリーズが始まりました。当web読者の皆さんはご存知かと思いますが、蔵重さんは駒大苫小牧高校野球部と香田誉士史監督の10年を丹念に綴った著書「深紅の旗は我にあり」の筆者です。人と人の出会いをとても大切にされる蔵重さんは、「出会い」こそ、生きていくことの中心軸として欠かすことの出来ない「人生」だと考えています。ご自身の出会いの在りようとそこから紡ぎだされる深い思いをテーマに不定期ですがシリーズでお贈りいたします。どうぞお楽しみに。

出会いの中で

■2.「 香田誉士史 」その2 くらしげ としお

蔵重 俊男

駒大苫小牧高校の三十周年記念に建てられた室内練習場は、確実に香田野球の精神環境を変えていった。室内練習場に入ると野球部全員の靴が寸部の狂いも無く整然と並べられている。こうした一つの統率と方向性とは、何故こうしなければならないのかを徹底的に噛み砕いて教え込むことであった。それは冬の間でも続いた。冬期間は屋外でのサッカーなどを中心にした練習、晴れの日には外野ノックで野球感を鍛えた。地道な室内練習と屋外の交互に行われた大切な基本練習の毎日であった。その後圧雪の中、雪を固めてのイレギュラーに対応する「雪上ノック」が盛んに行われ、実戦に近い形で技術と精神面を鍛え上げていく。風化しつつあった駒苫の野球を自分との戦いの中で「野球が出来る事への感謝」と「礼儀」を重んじながら香田野球を一歩一歩前進させてきた。日本のスポーツは「礼に始まり礼に終わる」といわれる。正に「道徳」と「精神力」を高めてきた香田野球によって北海道の高校野球は更に大きな変化がもたらされた。武士道の精神ともいうべき、「礼節」を重んじ間合いの時間を大切にした。ユニフォームの着こなし、ひとつひとつのプレー、歩く姿、走る姿、目線と声の張り、これらは日頃の私生活から生み出されるものだと子供たちは悟っていく。どのようなスポーツにも「技術」と「精神力の強さ」がチーム力を高めるといわれるが、それを極める為、「このチームでは何をなすべきか」を最大のテーマとして取り組んできたのである。三年間で築き上げるチームより上下隔たりの無いチーム力を高め、毎年違った「香田野球」を見ることが出来たのは私にとっては「とても幸運」なことであった。

このチームでは「何をなすべきか」。夏の選手権に全て照準を合わせてチーム力を高めていくのである。どのような環境下にあろうとも個々の力を最大限に発揮させる方法論はあるのだろうか?と私なりにいつも疑問を持つよう心がけていた。プロセス重視でくまなくひとりひとりと意見を交わしながら、ボディーランゲージも交えお互いの信頼関係を構築していく。個々の力を組織の力に結集して大きな舞台でも堂々プレーするのが「香田野球」の本願であり、常にチャレンジャーとして戦う集団にしていくのが最大のテーマである。だから自分の野球スタイルにはこだわらず、そのチームにあった野球を毎年監督が築き上げていくのである。「香田野球」は見る側にとって実に面白い。打撃力のチームであり、投手力のチームであり、走塁重視のチームであり、過去の甲子園出場チームはそれぞれいろんなパターンの特色あるチームがグラウンドを席捲し、見るものを惹きつけたのだった。その基本となるものはやはり「ディフェンス」と「チームワーク」がしっかり出来上がってのことだった。彼の指導力の源は大学時代の指導者「偉大なる師」と仰ぐ「太田 誠」氏の存在と母校である佐賀商業への実習生として野球部のコーチとして指導したことであった。佐賀商業では監督を全面的にサポートし第七十六回夏選手権大会で頂点に輝いた。正に高校野球らしいオーソドックスなチームが全員野球で勝ち得たものだった。折りに触れ佐賀商業の話をしたが、やはり母校への愛情が強く感じられた。駒大苫小牧でも優勝したことで、周囲の見る目が変わり、監督をはじめとしてチーム全体に「驕り」を誘ってくるかの様なマスコミ報道もあり、メディアは総じて面白おかしく書き立てる。監督自らが先頭に立ち全てを断ち切って行かねばならない。不自然に漂う空気も今の若いマスメディアの人たちはなかなか察してくれない。感情を露わにすると何かの拍子に言論の自由を振りかざし芸能雑誌のごとく猛然と活字で応戦され、お互いが感情的になってしまうこともあった。だが一方で、駒大苫小牧でも佐賀商業でも実に多くのことを学び、実践と野球以外の中から得たものは計り知れないのである。

二十一世紀に入り、香田野球が初めて甲子園出場を果たした。第八十三回、全道夏の選手権大会は大きな壁であった北海高校を決勝戦で大差をつけて破り、堂々、甲子園初出場を決めた。けして飛び抜けた選手がいた訳でもなく、総合的な組織力、全員のチーム力で栄冠を手にしたのであった。後援会の会長として私は少しでも心の支えになれたのだろうかと当時を振り返ってみたりもする。香田野球初めての練習風景から数えて七年後の栄冠であった。「基本的な高校野球」を徹底した成果が見事結実した駒大苫小牧と、第七十六回大会で優勝した佐賀商業とをダブらせていた。この大会の佐賀商業と伝統校の松山商業との一戦は、その後の「香田野球」の戦いに生かされてきたのであった。

苫小牧に来た当初は環境の違いに戸惑い、精神的に何度も後退りしていた頃もあった。「我心ここにあらず」でしたが自らの心が落ち着いてきたのは二、三年程経ってからだった。ようやく自分の野球が出来るようになると共に、全道大会の常連校になっていく。だがベスト八、ベスト四と躍進するものの、あと一歩の所で甲子園を逃がしてきた。人間の野望は計り知れないものがあるが、彼の指導のあり様は究極まで自分自身を追い込んでいくことであった。過去の実績にこだわり驕り高ぶるわけでもなく永遠のテーマを求め、全国レベルのチームを創りあげて行くのが主題であり、また楽しみの一つでもあった。当時いつも口にしていた言葉があった。それは『甲子園に行くだけのチームなのか、甲子園で勝てるチームに育て上げるのかでは、考え方に「天と地」ほどの差がある』。そう話すときの「香田誉士史」を、私はけっして忘れることはない。
=次回へつづく。どうぞお楽しみに。

■筆者プロフィール
蔵重 俊男 KURASHIGE TOSHIO
住  所: 苫小牧市新明町4丁目20番13号
連 絡 先: 0144-55-5069
生年月日: 昭和25年6月20日
出  身: 厚真町
厚真中央小学校・厚真中学校・苫小牧工業高校・昭和44年卒業
大昭和製紙(株)本社鈴川工場(S44年4月〜47年12月)
蔵重自動車(S48年1月〜59年12月)
苫小牧スバル自動車(株)(S60年1月〜)
北海道スバル(株)中古車部部長(現在に至る)
趣  味: 野球鑑賞・少年野球指導者・少林寺拳法

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