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蔵重俊男さんのビタミン・エッセイ新シリーズが始まりました。当web読者の皆さんはご存知かと思いますが、蔵重さんは駒大苫小牧高校野球部と香田誉士史監督の10年を丹念に綴った著書「深紅の旗は我にあり」の筆者です。人と人の出会いをとても大切にされる蔵重さんは、「出会い」こそ、生きていくことの中心軸として欠かすことの出来ない「人生」だと考えています。ご自身の出会いの在りようとそこから紡ぎだされる深い思いをテーマに不定期ですがシリーズでお贈りいたします。どうぞお楽しみに。

出会いの中で

■2.「 香田誉士史 」その3 くらしげ としお

蔵重 俊男

平成十六年、第八十六回夏の選手権大会初優勝で、初めて深紅の大優勝旗が津軽海峡を渡った日、大粒の涙を流して「どさんこが、がんばりました」と甲子園に「こだま」した「香田誉士史の声の震え」は、いまだ耳元から離れない。北海道、苫小牧近隣の子供達の手で、夢の優勝旗を手にしたのであった。「疑心」から翌年の連覇で「確信」となり、兵庫出身の田中将大投手を中心に甲子園でも充分戦える集団になっていく。だが、三年連続の決勝進出で、甲子園の雰囲気がガラリと変わってきたのを香田監督は肌で感じ取っていた。早稲田実業との決勝戦は、正に駒大苫小牧が初優勝した時の空気がそのまま早稲田実業に乗り移って行ったのである。八回駒大苫小牧の三木が放ったソロホームランで試合が決まったかのような流れであったが、香田野球の真髄であるカバーリングに大きなミスがでてしまった。こうして斉藤、田中の壮絶な投手戦となり、そのまま延長に入り引き分け再試合となった。この時の両監督の心の奥底ではおそらく同じことを考えていたはずだ。それは、勝ち負け以上に高校野球の根底にあるものを純粋に模索していたに違いないと思われた。白球を追う子供達の雄姿に感動し、多くの仲間の応援と甲子園ならではの球場全体に響き渡る大声援を受けるたびに、いい知れぬ身震いさえ感じていたのだ。初優勝の「疑心」、連覇の「確信」、そして三連覇への再試合は、回を追うごとに駒大苫小牧への「嫉妬」とも思えるような空気が甲子園を包み込んでいった。「伝統校の早稲田実業を勝たせてやりたい、勝って欲しい、勝たねばならない」という駒大苫小牧が経験した「疑心」から「確信」になっていく斉藤投手の堂々としたオーラを背負った姿から、それが見え隠れしていた。これは私が過去に何度か経験した球場全体の「想念」が早稲田実業に完全に乗り移り、最期の打者田中に対する七球が全てを物語っていた。

頂点に立つということは頭に「有」を付けると「有頂天」になる。マスコミや、高校野球ファンはそうした所を見逃すことも多々あるが、ここぞとばかりに「いい記事」を書いている記者達がいる。常に冷静沈着なまでも、高校野球を見守っている人達だ。私はそうした記事に触れても、また、常勝軍団や香田誉士史個人、駒大苫小牧に対する「ガセネタ」が飛び交っても安心して一つの方向性を確信していた。「高校野球の本質」は永い歴史の中で先人が築き上げた「無心に白球を追う精神」が受け継がれてきたことにある。それを守り続けてきたのは選手達だけではない。多くのマスメディアの正確な報道があったからこそとも思う様になってきた。香田誉士史と出会って「こんな指導者とは二度と巡り会えないな」と感じてから、もう十三年にもなる。

今、新たな道を模索し始め、全体から湧き上がる意欲という血流も勢い良く流れだし始めてきたようだ。昨年六月十三日の彼からのメールに「今日からコーチとしてグランドに立つことが出来ました」との内容で大学での第一歩と「心機一転」熱い気持ちが長々と語られ、私は何故かジーンと目頭が熱くなるのを感じていた。子煩悩なその男は、「夢を追い続け」今までと違ったスタイルの野球感を勉強し、大学という大人になりかけの青年達が築いてきたプロセスも柔軟に受け止めながら、一歩一歩人との出会いの喜びを満喫して欲しい。新しい職場環境、北海道とは違った気候は彼自身の士気を高める。「いい汗かいてます」と最初は強がりを言っているかの様に聞こえたが「苦労してます」とも私には感じられた。だが張りのある声を聞いている内に、どうやら少しは苦労のしがいが出てきた様な気がする。全てがまた一からの出発だが、「苦労人、香田誉士史」には自然発生的に人が集まり、「課題」や「困難」を切り抜ける「神通力的」なものがあり、大きなパワーとなって神奈川の大学にも旋風を巻き起こしそうだ。それは青年達が「今、出来ることは何か」に気付き始めればのことであり、大きな「うねり」となるには「畑を耕し、種を蒔いて、水をやり」人を育てる心が通い始めることが必要なのだろうなと思う。

アメリカ大リーガーには、野球選手でありながら、博士号を持っている人達が大勢いる。歯学中心の大学からもそうしたプレーヤーが輩出しプロ野球で活躍するのも大いに期待したい気がする。現に「なかなか素晴らしい選手がいるんですよ」と電話の向うの声も弾んでいた。私の想像力をはるかに超える「香田誉士史」は、自分の手で自分達の歴史を変えていく集団に創り変えようとしている。そんな強い意気込みが感じられ、私の心は更に躍り、苦しくなるほどの胸の高まりを抑えることが出来ないのである。大きく言えば、「日本の野球界発展」のためにいつまでも「夢を追い続ける」逞しい男であって欲しいと願っている。(完)

■筆者プロフィール
蔵重 俊男 KURASHIGE TOSHIO
住  所: 苫小牧市新明町4丁目20番13号
連 絡 先: 0144-55-5069
生年月日: 昭和25年6月20日
出  身: 厚真町
厚真中央小学校・厚真中学校・苫小牧工業高校・昭和44年卒業
大昭和製紙(株)本社鈴川工場(S44年4月〜47年12月)
蔵重自動車(S48年1月〜59年12月)
苫小牧スバル自動車(株)(S60年1月〜)
北海道スバル(株)中古車部部長(現在に至る)
趣  味: 野球鑑賞・少年野球指導者・少林寺拳法

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