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蔵重俊男さんのビタミン・エッセイ新シリーズが始まりました。当web読者の皆さんはご存知かと思いますが、蔵重さんは駒大苫小牧高校野球部と香田誉士史監督の10年を丹念に綴った著書「深紅の旗は我にあり」の筆者です。人と人の出会いをとても大切にされる蔵重さんは、「出会い」こそ、生きていくことの中心軸として欠かすことの出来ない「人生」だと考えています。ご自身の出会いの在りようとそこから紡ぎだされる深い思いをテーマに不定期ですがシリーズでお贈りいたします。どうぞお楽しみに。

出会いの中で

■3.「 父 」その3 くらしげ としお

蔵重 俊男

父のもう一つの趣味は釣りである。コイ釣り、フナ釣りなどで、支笏湖でのチップ釣りには、朝早くから私もかり出された。父の釣りは朝が早いのである。特にコイ釣りは、午前四時頃には起床し数十本ある釣竿の中から厳選した数本を持って出かけた。エサの餅と撒き餌を持ち、深々とした沼地に辿り着くと、撒き餌の後、釣りの準備が終わっているのに三十分以上もエサを付けたまま、その場をじっとしているのである。声も掛けられないようなピーンと張り詰めた時間が続く。そして、ようやく釣り糸を垂らす。その瞬間、物音一つさせずにピタリと落とし処に投げ入れる。水面は方円を描きわずかに小さく波打って見えた。その一つひとつの動作は何とも実に繊細であり、私がやれば、どうしてもポチャンと音がして大波を打ってしまう。父のそれは真似のできないものであった。「コイつりは難しいぞ」という父。静観なガス状の湖面をバシャバシャと暴れるコイを一本釣ると持ち帰り、大きな鱗を取り除いてから火鉢の上で一晩じっくりと煮込み、肉厚で極上のコイの甘露煮を作って食べさせてくれた。

春先から夏場にかけ、自転車店を経営していた時と同じ様に、父は毎朝、店の前を母と一緒にほうきで掃除しながら水を撒いていた。お客さんを迎え入れる為の「儀式」かなと思っていたが、「水をはる」といって商売繁盛のため、埃がたたない様にと暑い日には少しでも来て頂いたお客さんが涼しさを感じていただけるように、との心配りであることが後々分かった。事務所には黒板があった。一ヶ月の予定表の始まりの余白に、いつも「信用と信頼」と書いていた父。毎朝、消してはまた書いている。幼い頃は、その行為に何の疑問も待たなかったが、中学生位になると少しばかり気になってきた。毎朝、同じ言葉を消しては書くのだから、不思議な気がするのである。ある日、尋ねると「お客さんあっての商売だから仕事で信用を無くしたら元も子もない」と、父は優しく真顔で話してくれた。毎日々々その気持ちを忘れないようにと消しては書いて、自分を戒めているということであった。そんな父の姿を見ていると、少しずつ商売の大変さが分かってきた。

工場の片隅に大きな鉄の塊の様な旋盤というものがあって、父はいつも何か細かい作業をやっていた。それは、仕事で使うワッシャーやボルト、ナットを一つひとつ丁寧に作っていたのである。実に繊細で気が遠くなるほど根気が要る作業で、嫌気が差すような仕事に見え、こんな仕事は私にはとうてい無理だと思っていた。旋盤に向かっていたかと思うと今度は車いじりをやり、そしてグラインダーで鉄板を削る。次には、溶接機を使って何やら色んな物体を作っていた。毎日がこの繰り返しである。今でこそ、部品という物があるが、当時は部品でも何でも全て自分で作っていたのである。そこまでして一つの物造りに集中し専念できるというのは、一体何が父をそうさせているのだろうかと、いつも気になっていた。「子供の為に働かなくてはなあ」が、口癖だったと母がいっていた。黒縁の丸い眼鏡の奥からは、優しい目がニッコリと、すぐにでも笑い出しそうにしている父。朝に着替えたまっ白な作業着は、瞬く間に真っ黒になる。大きな固形石鹸で、毎日、手で洗濯をする母の苦労が理解できた。でも二人三脚というものはこういうものかも知れない。忙しいときは、母も作業着を着て、立て掛けたトラックのボディをワイヤーブラシで磨いては、トントンとハンマーで叩いて錆落としをしていた。そしてコールタールの様なものを刷毛で丁寧に塗っていく。それは女性がやれる仕事ではない。今じゃ考えられない。その後、昭和三十年代後半に入ると、高速洗車機が導入され、エアーガンスプレーで素早く錆止め塗装するなど、田舎の工場にも、いち早く技術革新の波が押し寄せた。新鋭機が普及し始めてきたのだった。こうして急速に激しく社会が変化し、経済が成長して行く時代に突入していくのである。

=次回へつづく。どうぞお楽しみに!=

■お知らせ■
早いもので、毎日懸命に走り続けている間に、気がつくともう師走になってしまいました。蔵重さんの新シリーズも好評のうち走り続け、回を重ねる毎にその筆の勢いも増すばかりです。ひとえに読者のみなさまのおかげと感謝しております。どうぞ今後とも引き続きご愛読くださいますようお願い申し上げます。さて、新年の1月は更新がお休みとなり、2月から連載がスタートとなります。来るべき新しい年の1年が皆さまにとって実り多い年でありますように願っております。この1年の皆様のご愛読に感謝を込めて。

■筆者プロフィール
蔵重 俊男 KURASHIGE TOSHIO
住  所: 苫小牧市新明町4丁目20番13号
連 絡 先: 0144-55-5069
生年月日: 昭和25年6月20日
出  身: 厚真町
厚真中央小学校・厚真中学校・苫小牧工業高校・昭和44年卒業
大昭和製紙(株)本社鈴川工場(S44年4月〜47年12月)
蔵重自動車(S48年1月〜59年12月)
苫小牧スバル自動車(株)(S60年1月〜)
北海道スバル(株)中古車部部長(現在に至る)
趣  味: 野球鑑賞・少年野球指導者・少林寺拳法

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