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蔵重俊男さんのビタミン・エッセイ新シリーズが始まりました。当web読者の皆さんはご存知かと思いますが、蔵重さんは駒大苫小牧高校野球部と香田誉士史監督の10年を丹念に綴った著書「深紅の旗は我にあり」の筆者です。人と人の出会いをとても大切にされる蔵重さんは、「出会い」こそ、生きていくことの中心軸として欠かすことの出来ない「人生」だと考えています。ご自身の出会いの在りようとそこから紡ぎだされる深い思いをテーマに不定期ですがシリーズでお贈りいたします。どうぞお楽しみに。

出会いの中で

■3.「 父 」その5 くらしげ としお

蔵重 俊男

父の予言は的中し、一月に入社したばかりなのに半年後には、社長が交代しメーカーから新社長豊原清氏が配属になった。昭和六十年七月のことである。メーカー100%の出資会社になったのである。いきなり新社長は、「サービス部門に関しては全てあなたに任せますので自分が経営している会社と思って頑張ってください」といわれた。私の役職は主任であり、初めて会った人なのに、一体全体この人は何を考えているのだろうと思った。勿論、私の上司も居る中での、そうした発言は周りを震撼させた。すぐに係長としてスタートし、一年後には課長に昇進。私の性格を見通しているかの様な一言もあって、私の力を十二分に発揮する場所を与えてくれ、否応なく奮起せざるを得ない環境になって来たのだった。「工場の環境整備に1,200万円掛かります」という私の見積もりに「あっそう、すぐ手配しますね」には心底驚いた。働く環境と、如何に人を効率よく動かせれば良いのか、そして、最終的に利益を生む会社に創り変えるにはどうするか、私の答えは一つしかなかった。真剣な眼差しで経営に対する根本的なことを話し合い、この時どん底に陥った会社経営を、どの様に再建するのか。まだまだ未熟者の三十四才の私は、偉大な社長豊原氏から経営学を教わったのである。「会社があって社員が居るのではなく、社員が居てこそ会社は成り立っていくのである」という根本的なことと、「人との出会いの中で、信用と信頼を築くことが如何に大切であるか」を三年の間、心と体全体に染み込ませてくれた。父と同じ考えの豊原氏に当時の私は深く感銘を受け、私は持てる能力を更にフル回転をさせた。そして三年後、ついに決算手当てが出せるような会社に変貌を遂げたのである。

父は何故、私の人生までも見抜き、このような試練を与えてくれたのだろうか?あの時の父の心中をいくら推し量っても分からなかった。この年令になってもまだよく分からないのだ。もしかしたら、幼い頃、私に大火傷させてしまったという罪悪感を、長い間、心の片隅に持ち続けていたのだろうか。私の方が色々と考えざるを得ない心境になった。時々お昼近くに私の職場に立ち寄り、父が贔屓していた蕎麦屋に連れて行ってくれた。昔、何処かで味わったことのあるような香ばしい本当に美味い蕎麦だった。父は「どうだ!!この蕎麦の味は?」といった瞬間「あっ、そうだ向かいの蕎麦屋の厚三兄さんの味だ」と応えた。すると父はニンマリとして私の顔を見つめて笑っていた。その時の輝いた父の目は、いつも私に安心感を与えてくれていたあの眼差しだった。私もじっと父の顔を見て幼い頃、白髪交じりになった顎髭でゴリゴリと、いつもやられたことを思い出していた。

=次回につづく!どうぞお楽しみに=

■筆者プロフィール
蔵重 俊男 KURASHIGE TOSHIO
住  所: 苫小牧市新明町4丁目20番13号
連 絡 先: 0144-55-5069
生年月日: 昭和25年6月20日
出  身: 厚真町
厚真中央小学校・厚真中学校・苫小牧工業高校・昭和44年卒業
大昭和製紙(株)本社鈴川工場(S44年4月〜47年12月)
蔵重自動車(S48年1月〜59年12月)
苫小牧スバル自動車(株)(S60年1月〜)
北海道スバル(株)中古車部部長(現在に至る)
趣  味: 野球鑑賞・少年野球指導者・少林寺拳法

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