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蔵重俊男さんのビタミン・エッセイ新シリーズが始まりました。当web読者の皆さんはご存知かと思いますが、蔵重さんは駒大苫小牧高校野球部と香田誉士史監督の10年を丹念に綴った著書「深紅の旗は我にあり」の筆者です。人と人の出会いをとても大切にされる蔵重さんは、「出会い」こそ、生きていくことの中心軸として欠かすことの出来ない「人生」だと考えています。ご自身の出会いの在りようとそこから紡ぎだされる深い思いをテーマに不定期ですがシリーズでお贈りいたします。どうぞお楽しみに。

出会いの中で

■3.「 父 」その6 くらしげ としお

蔵重 俊男

平成六年六月十五日、父、他界。この年、巨人軍の原辰徳はシーズンのスタート後、不振が続き引退説も流れ始めていた時である。大の巨人ファンの父は、中でも原選手の登場を心待ちにしていた。私に対して野球選手になってくれることを夢見て、いつも色んな選手を私とダブらせて観ていたのである。その日、満塁で登場したのが原辰徳で、母の話によれば、父はかなり興奮していたようだった。登場して、いきなり満塁ホームランをかっ飛ばしバットを高々と放り投げ捨てたのだから、父はすこぶる上機嫌になり手を叩いて「やった!やった!」と自分のことの様に喜び、興奮がなかなか収まらないでいたといっていた。私も、そのシーンを見て、父と同じ様に、スランプでもがき苦しんでいた原辰徳の心境を察し手を叩いて喜んだ。そんな父がいつもの様にベッドで寝ると、母もいつもと変わりなくベッドの横に布団を敷いて眠りに入ったという。しかし、父の喜色満面の笑顔を見ながら就寝することがこの時、父との最期の別れになるとは…。母のショックは計り知れないものとなった。

その数日前のことである。九州旅行から帰ってきた父が、愛犬の品評会に行ってくるといって、いつもなら車で行く所を歩いて行ったらしい。後日のこと、旅行の疲れやそうした行動からか、普段の自分の体調ではないことを察し、以前、胃がんの手術をした掛かりつけの病院に兄嫁の運転する車で行ったのだが、病院では異常なしとの診断だった。母も私もホッと安堵の胸をなでおろした。だが、その二日後のことだった。突然、父は息を引き取ってしまった。何とも虚しい心境にかられたのは私ばかりではなかった。母の心の内を考えると、私は、とにかく気丈でしっかりとして居なければと何とか精一杯の虚勢をはっていた。私にはもっともっと父との時間が必要だったのだ。原選手のホームランを夢見ながら翌日他界した父には、まだまだ聞いておかなければならないことが山ほどあったのだ。本当に無念でならなかった。私は暫らく放心状態であった。お通夜から告別式、出棺の時も辺り構わず泣かずにはいられなかった。ただただ、とめどなく涙が溢れて落ちてきた。分厚い顎髭で私の毬栗頭や頬をこすりつけ、「♯花は霧島〜♭煙草は国分〜」と鼻歌まじりでニコニコしていたそんな父の面影を今でもしっかりと脳裏に焼き付けている。忘れることなどは出来ない。

自分も父親として、妻や子ども達に何を残してきたのだろうか?と時々思うことがある。父も戦争がなければ兄姉達と楽しい人生を送っていたのではないだろうか。そして母は、もっともっと幸せな人生を語り合う別の父の姿を追い求めていたに違いないと思うようにもなった。その反面、私は、幸せな良き人生の指導者に出会ったと考えるようにもなり、私の進むべき道に光と試練を与えてくれたことや、多くの思い出を創ってくれたことに心から感謝せずにはいられない。考えてみると、人と人との出会いも最初に出会ったのは両親なのだから楽しくなってくる。しかし、世の中には親でありながら、親と言えない関係の親子、遠く異国の地で来る日も来る日も、待ちわびている親子など、まだまだ親子が切ない思いで苦しんでいる多くの現実があると思うたびに、私は幸せ者と心の中で呟いている。父から多くのことを学び得た伝承者として、父が残した一言々々を、自分の子ども達にも伝えてきたつもりだ。それが私たち夫婦の誇りと、使命であったと思えるようにもなった。残された人生を満喫できるかどうか、家族と共に楽しい人生を過ごして行くのも、やはり脳の活性化を第一に考えなければならない年令にもなってきた。心の健康は脳であるという学者、私の健康も心の置き所次第で創造されていきそうである。どちらも心が作用する人間独特の生き方なのかも知れない。

父の想い出は尽きることが無いが、私に対する「優しさ」の答えは、夢の中で、二人だけの水入らずの永い語りになりそうだ。そして、私の問にもきっと答えてくれはずである。今でも、間違いなく、私の人生の師なのだから。(完)

■筆者プロフィール
蔵重 俊男 KURASHIGE TOSHIO
住  所: 苫小牧市新明町4丁目20番13号
連 絡 先: 0144-55-5069
生年月日: 昭和25年6月20日
出  身: 厚真町
厚真中央小学校・厚真中学校・苫小牧工業高校・昭和44年卒業
大昭和製紙(株)本社鈴川工場(S44年4月〜47年12月)
蔵重自動車(S48年1月〜59年12月)
苫小牧スバル自動車(株)(S60年1月〜)
北海道スバル(株)中古車部部長(現在に至る)
趣  味: 野球鑑賞・少年野球指導者・少林寺拳法

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