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中宮さんのビタミン・エッセイ新シリーズが始まりました。中宮さんはIT企業の代表取締役会長を努めつい最近相談役に就任したばかりです。長年リーダーシップを発揮され、混迷の時代を乗り越えてきました。今、経営の一線から退かれ、趣味のひとつであるスキューバダイビングと沖縄の海をこよなく愛し、自然と人間の関わりそしてご自身との関係を改めて考えてみたいと思っています。新シリーズ「海と世界と人間と」は、皆さんと共に“自然とご自身を考える旅”のエッセーとして、どうぞお楽しみください。

海と世界と人間と

■1.トライアスロンの島 あるチャレンジャーの軌跡(2)

(株)ジュリアジャパン 相談役 中宮 希史

勝山がトライアスロンに参加するため、バイクを収納した大きなキャリーケースを抱えて石垣島を訪れたのはレースの2日前でした。勝山を応援するダイビングショップのスタッフ3名と、石垣在住のインストラクターである小田(仮名)の勝山チームが、宿泊先のホテルに姿を現したのは昼下がりのどんよりと曇った日でありました。

今回我々が石垣島でお世話になる小田氏は、石垣島に生業を移す以前、北海道で勝山コースディレクター指導の元、某電力会社の安定した地位をなげうってスクーバダイビング・インストラクターの資格を取得した経緯があり、イントラ取得後もしばらくは勝山の元でガイドのアシスタントなどを経験して、かねてより念願であった石垣島のショップでガイドとしての第一歩を刻んだのでした。

勝山等が石垣入りする更に2日前に、私と妻は現地入りして武富島周辺でダイビングを楽しんでいたのですが、私の石垣島に対する印象はお世辞にも良いとはお答え出来ず、沖縄諸島きっての人気スポットである石垣島に背を向けて、一時は宮古島や西表島で過ごすことが多くなっていました。おそらく勝山チームの応援目的が無ければ、石垣島には足を踏み入れる事は無かったと思います。トライアスロンが開催される石垣島に対して大変礼を失した発言となってしまいそうですが、全ての始まりは6年前、沖縄在住の知人から掛ってきた一本の長距離電話からでした。

電話の主は暫く疎遠になっていたプランナーの岩井(仮名)で、沖縄北部に位置するオクマリゾートのスティ先から仕事の依頼で電話をしてきたのでした。私は当時スクーバダイビングを始めたばかりで、マリンブルーの海に潜りアフターダイブで仲間達と休日を過ごすのが何よりの道楽でした。仕事の依頼だとはいえ沖縄に誘ってくれた岩井も、南国の海とマリンスポーツに魅せられた一人で、今では沖縄に移住して水着と『かりゆし』だけの生活を送っているようでした。岩井の生業は元?広告マンでプランナー兼コピ−ライターでしたが、今は自ら主宰する通販サイトで三線を売って生活費を稼ぎだしているのです。近頃では念願であった三線のアトリエを兼ねたカフェを、伊計島に向かう東海岸のビーチにオープンさせて一人、気を吐いている感があります。

私が沖縄の虜になった大きな要因として、沖縄のライフスタイルを熱心に紹介してくれた岩井の存在があり、私がまがりなりにも沖縄の宜野湾市に事務所を構えられたのは、岩井が仕事のパートナーとして、私を受け入れてくれたからに他ならないといえるでしょう。当時を振り返ると彼は、沖縄にある印刷会社のプランナーとして、自社のCMプランの企画に携わっていた矢先のこと、思い悩んだ挙句に彼の頭に浮かんだアイデアは、私が昔手掛けたCGアニメーションのCM放送であったらしいのです。そのような訳で彼は私に自社のCMプランを依頼してきたのであり、携帯の先から聞こえてきた岩井の声は、以前にも増して実に明るく爽やかな印象でした。私もダイビングを始めたことで、沖縄が身近に感じられた矢先のことで、私は快く岩井の申し出を受けたのでした。

沖縄を初めて訪れたのは9月の初旬頃であったと記憶しています。沖縄に移住した岩井からかかってきた1本の電話が、私を2000キロ離れた沖縄に向かわせたのでした。彼が勤めていた那覇にある印刷会社でCMの打ち合わせを終え、その後首里城や国際通りなど観光案内で私の眼を楽しませてくれました。

私のもう一つの目的はスクーバダイビングで沖縄の海を潜る事であり、特に石垣島でのダイビングは憧れであったマンタに遭遇する確率も高く、期待で文字通り胸を膨らませていたのでしたが…仕事優先のスケジュールで致し方なかったのですが9月は台風の季節であることを考慮すべきであったのです。当然台風に発達しそうな熱帯性低気圧が発生しない事を祈ったものですが、結果を先に述べると台風とはすれ違いで、台風一過の沖縄を訪れる事となりました。

石垣島の上空から見た透明度が自慢のエメラルドの海岸線は、複雑な海底の地形を浮かび上がらせ観光客は空港に降り立つ前から、美ら海石垣島の虜となるのでした。石垣島は八重山諸島の中核をなす島で、人口も本島に次いで第2位の都会でもあります。フェリーを利用すれば1時間で西表島にも渡れ、まさにダイバーにとってこれ以上理想的な島は、世界広しといえども石垣島以外は思い浮かばないほどでした。

岩井と那覇で別れた後、那覇発のJTAで石垣空港に降りタクシーでホテルに入りました。翌日からのダイビングを予約したショップに連絡したところが、台風の影響であれだけ楽しみにしていたダイビングは中止であると、断られてしまったのです。お天気は晴天であるにも関わらず波が高くてボートは出せないし、海の中も味噌汁状態で透明度は最悪であると説明されました。結局3日間潜る予定が最後の1日だけのお粗末な結果となってしまったのです。しかも波の影響で限られた水域での潜水となったのですが、そのポイントは何と恐ろしいことにサンゴの墓場であったのです。ガイドは台風の影響でサンゴが破壊されたと言っていましたが、その主なる原因は地球温暖化による白化現象である事は素人目にも分るほどでした。白い砂地の浅い海底で見渡せる範囲の殆どが、化石化した白いサンゴの残骸でした。サンゴを揺りかごに育つ小魚達や、小魚を狙う大物までがサンゴが死滅することで共存出来ずに、共倒れになる事は知識として知っていましたが、実は負の食物連鎖と呼ばれる自然破壊は、地球温暖化による人間のエゴに起因することが多いのです。今まで美しいと感じていた海底での白い世界は、死を意味しているのだとその時初めて気付かされたのでした。その様子を間近で見た私は、石垣の海に絶望したのです。

=次回に続く。どうぞお楽しみに!=

■勤務先:http://www.juliajapan.co.jp/
■筆者プロフィール
中宮希史   [株式会社ジュリアジャパン 相談役]
氏  名 中宮 希史(なかみや まれし)
■経歴    
1948年 北海道札幌生まれ。
1972年 東京造形大学絵画科卒業。
1972年 株式会社ジャパングラフィックスにイラストレーターとして入社。
1978年 30歳を機に札幌にUターンを決め込み、株式会社北海道たきに入社、主に広告のイラストを手掛ける。
1986年 有限会社グラフィックアソシエーションを設立、デザイン全般の業務にあたる。
1989年 東京でイラストの個展を開催するが、以降も含めあまり話題にはならなかった。
1994年 株式会社ジュリアジャパンを設立して3Dアニメーションやゲームソフトを中心とした業務に携わる。
2005年 訳あって沖縄に支社を創設してしまう。
2009年 社長職を辞して会長に就任。
2010年 相談役に就任する。
     
通常業務の側ら学校法人芸術デザイン専門学校講師や卒業制作審査員を務める。その他、趣味は多数。

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