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・=ぶつかった方が、いいよ。=「五刻豊穣記」さかざき君のコラム
・=ぶつかった方が、いいよ。=「五匹の猿を退治しろ!」うずまさ君のコラム


“強くなくては生きていけない、優しくなくては生きている資格はない”
どこかで目にし、耳にしたちょっと有名なセリフです。
心のビタミン・コラムは、中学生、高校生、大学生の諸君には、これからのキミの生きていく未来を考えるきっかけに。
すでに社会に出て活躍されている方、あるいは多少失意の中にある方には、もう一度、自分を考えてみる端緒に。
そして、長い間会社や社会につくされ、おおいなる安息の日々を過ごされている方には、来し方に思いを馳せ、より良き明日の活力にして頂ければと念じて、連載いたします。隔月で交互にお楽しみいただけます。

五刻豊穣記

■其の弐「青年の刻」 さかざき けんじろう

阪崎 健治朗 ぼくにとって青年期は、つらく悲しい思い出の多い時期だったと思います。
 高校に進学したものの、3年生に上がる直前体調を崩して2年自宅療養を強いられてしまいました。 やっぱり辛かった。クラスメイトは大学進学で猛勉強をしているだろうし、ぼくは将来学校の先生になろうと目標を持っていた矢先だったから、悔しい思いをいつまでもぬぐえず、毎日天井を見て“なんてこった”と歎き、さすがによく涙を流していましたね。

 そんなとき、今も忘れられない見舞いは、クラスメイトのK君だった。彼もぼくもまったく宗教で信じるものを持っていなかったのに、信仰の本であった。 今も不思議な思いをしています。
 “もうこれで学校の先生にはなれないだろう”と、自暴自棄に陥っている時、たった1冊の本に託してくれた彼の心の優しさに勇気付けられた思いがしました。 失いかけた希望をかすかに抱きながら。病後、小さな短大に入り、英語を専攻しました。
 あっという間の2年間を終えたものの、病身のぼくを採用してくれる企業などどこにもありませんでした。 もちろん、ぼくの中にもどうしても学校の教師にとのこだわりもありましたから、ひたすら「そのとき」を待っていたように思います。
 そんな勝手なぼくを父も母も何も言わずに見つづけてくれていました。貧しい生活だったから、早く世間並みに仕事に着いて家計を助けてもらいたいと思ったはずなのに、「勉強しろ」とか「仕事はどうなっているのか」など文句一つ言わなかった。我慢してくれていたのだと思いました。

 やがて、「そのとき」がやってきました。待った甲斐があって、短大を卒業して2年後、自宅から2時間もかかる中学校に採用され、やっと夢がかなえられたのです。26歳の時でした。子どもたちに囲まれた学校生活は理想を描いていたクラス作りを実現するまたとないチャンスで生涯忘れ得ぬ体験でした。
 しかし、どこまでもぼくは幸運の女神から見放されていたのか、この夢も2年足らずで終わったのです。 ちょうどあれから10年後の再発でした。治り切っていなかったのですね。  ぼくはもうこれで再び社会に復帰できないだろうと覚悟を決めて病院生活を始めましたが、どこか不思議に安心感がありました。これでしっかり病気と闘うことに専念できると思っていたからだと思います。もちろん、全ての目標を失い、どこまで生きていけるのだろうか、という生と死を考えつづけてはいましたが。

 そんなとき、ぼくを救ってくれたのが、勤務先の中学校の子どもたちでした。
 13歳になったばかりの子ども達が、毎日真剣にぼくの回復のために祈っていることを知ったとき、ぼくは目が覚めた思いがしました。『いっときの患難は、やがて希望に変えてくれる』という言葉を贈ってくれたのです。 ぼくはこの中学生たちの励ましを終生忘れることは出来ません。いわば生きる望みを与えてくれた恩人でもあったのです。  ヒビの入った体ではありますが、どうにか社会復帰を果たすことが出来、世間の変化に驚きながら、またぼくに力を貸してくださった方によって救われたのです。
 病み上がりのぼくは青少年社会教育団体に拾っていただいたんです。 ぼくが初めて本格的に就職できた瞬間でした。 何のとりえもなく、学歴も乏しく、しかも永年の病身に不安をもちながらも、まさに奇跡的な就職でした。 
 野球で言えば、テスト生として様子見で採用され、2軍の玉拾いからはじめたようなものでした。 全てが新鮮に見えました。 このような環境の中で、とにかく“ぶつかっていく”ことを教わりました。 ぼくの“がんばり”もここが原点だったように思います。 そしてここでの仕事を終生の専門分野にしてくれたのです。

 いま青年時代を振り返ってみて、青春の半分を病気で失った事にもなるが、その分後の人生に残されたものと思えば、楽しみが涌いてくると思っています。
 どんな時でも希望を失わず、どんなに苦難が襲ってきても、避けずに立ち向かっていく姿勢を保ちつづける事が出来たのも、多くの人々の出会いと支えがあったからだと思い、これがぼくの心の宝となっています。今度は人のために何か役に立てる自分でありたいと思っています。
 それにしても随分波乱に跳んだ青春期だったように思いますね。


特にスポットライトを浴びることもなく、コツコツと日々の仕事に工夫を凝らして30年が過ぎたある日、子会社の役員となったある方は、上司の社長から「10年も前から君の仕事は見てきた。いつか君と仕事がしたかった。望みが叶った。」
そう言われ、目がかすんできた。さて、次回は3回目です。お楽しみに!


■筆者プロフィール
阪崎 健治朗 SAKAZAKI KENJIROU
生年月日: 1935年(昭和10) 12月25日
学歴: 日本大学文理学部英文科(通信)卒業
職歴: 中学校教諭を経て、神戸・北九州・富山・日本YMCA同盟北海道の各YMCA勤務。その他、大学の講師として「集団組織論」、「基礎作業学レクリエーション演習」、「国際ボランティア論」、「国際関係論・国際交流論」等を担当。
社会活歴: 人間講座主宰(ロビンソンデパート)
研修歴: 感受性訓練(JICE)、交流分析(TAT)受講。
著作: 「職業と人間形成」(共著)(日本YMCA同盟出版)
「神戸とYMCA百年」(神戸YMCA)
「ボランティア論」(青葉書店)
「国債理解 重要基礎用語300」(共著)(明治図書)

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