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「五穀豊壌記」に続き、阪崎さんの新シリーズも月1回でスタート致します。
筆者の阪崎さんは70才になりますが、気力ますます充実。今年ラジオのパーソナリティーとしてデビューし活躍を始めております。また、美術解説者試験にも見事合格し、道立近代美術館で絵画に関しての解説の社会活動もされております。
新シリーズ「3ミリメートルの悦楽」は、読む力、理解し考える力、行動する力を読書と本を通して鍛えることを提唱するものです。言わば毎日継続するそれぞれの1ミリメートルを積み重ね“1日3ミリメートルの前進を喜ぶ”大切さを考えて頂きたいと思います。きっと明日はもっと良いことがありそう!と感じられることでしょう。
どうぞお楽しみに。

3ミリメートルの悦楽

■2.「小さき者へ」  さかざき けんじろう

阪崎 健治朗 札幌に住むようになって、かれこれ17,8年にもなるだろうか。生まれ育った関西も今や遠くなってしまった。ちょうど関西にいて北海道が遠くに感じたように。移り住んだ当初はものめずらしさも手伝って、時間を作っては出歩き、いろんなところを見て回った。北海道の原点ともいえる博物館には頻繁に訪れ、展示品をじっくりと鑑賞しては先人に思いをはせていたことを今も思い出す。そんな中、大通りを歩いていて10丁目あたりに来たときふと南側の角あたりの芝生の上に記念碑が立っているのを見つけた。そこを通るたびに目を見やるだけではあったが、ある日記念碑の前にしっかりと立ちじっくりと目を向けた。そこには詩が掘り込んであり、母が子を慈しむような彫像も埋めてある。案外地元の人はこの碑を見過ごしているらしい。碑にはこう記されていた。

 「小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に上れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れないものの前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ。」

 この言葉は、有島武郎が1919年(大正7年)「小さき者へ」と「生まれいづる悩み」を書いた短編の「小さき者へ」の最後に記している文を武者小路実篤が揮毫し、彫刻家によって制作されたモニュメントである。ぼくはこの言葉に出会ったとき、しばし心の奥底から湧き出る感動を抑えることができなかった。もちろんこの文章が有島武郎のものであることは知ってはいたが、これまでついぞ全文に触れることはなかった。しかし最近になって又この本を手にすることが出来た。文章は現代的に手を加えられているので読みやすく、それでいて作品が書かれた当時を彷彿とさせる内容である。

 はじめの「小さき者へ」は、幼くして三人の子どもを残して先立った妻亡き後のいわば残された子どもたちへの父としての遺言でもあり、激励でもあり、やがて荒波に出て行く子供たちへのメッセージでもある。寝静まった子どもたちのリズミカルな寝息を耳にし、この小書をしたためるために自ら動かすペンのきしむ音だけが静寂さを破っていく。有島の心は母を失ったことの意味を子どもたちに考えさせ、いかに子どもたちにとって失った母が大きな存在であったかを書き記している。頼るのは自分であることも暗示し、たくましく生きる道を見出せと叱咤する父性愛を強く印象付けた文章である。そして最後に、先にあげた詩風の文章に凝縮されている。

 その後に書いた「生まれ出づる悩み」は、岩内の貧しい猟師の家に生まれ、漁夫をしながらも、それでも離れがたい絵画への意欲を併せ持った不世出の画家木田金次郎との出会いをモデルに書かれている。いかにも無骨で、そしてシャイで無造作に自作品を有島に鑑賞してもらうことを無情の喜びとする金次郎の誠実さや実直さに感動さえ覚える。荒々しい絵画描写は、男が男に惚れるといった感情さえ有島の心を捉えていくのである。この作品から、木田を深く愛した有島の心情をうかがい知ることができる。不屈の精神で逞しく生きる漁民画家の精神を、私は学びたいと思う。

 岩内は1954年(昭和29年)折からの強風で市街地の約8割を焼失し、金次郎がそれまで描き溜めていた作品約1,500点余を焼失している。しかし、その後も精力的に創作を続け、生涯故郷岩内を離れることはなかった。

 木田金治郎、1962年69歳で没している。

 この二つの作品は、小品ではあるが、内容的には非常に濃いものがある。まだ世間との接触の薄い子どもといえども成長と共に、やがて父親を踏み台としてひとり立ちの歩みに期待を寄せるものの、最も生きるに重要なエキスを吸収できなかった子どもたちに、三人の子を誕生させた母の偉大さをしっかり心にとめて飛び立っていくのだという父親としての思いは、深遠な愛情そのものである。

 作家有島武郎は1878年(明治11年)東京に生まれ、1896年病気療養をかねて札幌にやってきて新渡戸稲造に寄宿する。1916年(大正5年)妻を亡くす。またその年の12月に父も送る。大きな悲しみを超えて本格的な文筆生活をすすめていく。ことのとき38歳。しかし幾多の紆余曲折を経て、1923年(大正12年)自死する。45歳であった。

 若者よ。人生という道は遠いし長い。そしてその道は一人ひとり違う。また様々なハードルもある。時には立ち止まることがあるかもしれないし、悔いることも起こる。そのためにこそ学びがあり、その蓄積が行動となっていくのである。多くのことを求めるのではなく、小さなことを積み重ねてこそ大きな成果に通じることを心に留めておいてもらいたい。私は、そう願っている。

「小さき者へ・生まれ出づる悩み」有島武郎 新潮社 昭和30年1月30日発行。平成元年6月 67刷



阪崎健治朗HP http://www16.ocn.ne.jp/~com212/


■筆者プロフィール
阪崎 健治朗 SAKAZAKI KENJIROU
生年月日: 1935年(昭和10) 12月25日
学歴: 日本大学文理学部英文科(通信)卒業
職歴: 中学校教諭を経て、神戸・北九州・富山・日本YMCA同盟北海道の各YMCA勤務。その他、大学の講師として「集団組織論」、「基礎作業学レクリエーション演習」、「国際ボランティア論」、「国際関係論・国際交流論」等を担当。
社会活歴: 人間講座主宰(ロビンソンデパート)
研修歴: 感受性訓練(JICE)、交流分析(TAT)受講。
著作: 「職業と人間形成」(共著)(日本YMCA同盟出版)
「神戸とYMCA百年」(神戸YMCA)
「ボランティア論」(青葉書店)
「国債理解 重要基礎用語300」(共著)(明治図書)

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