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「五穀豊壌記」に続き、阪崎さんの新シリーズも月1回でスタート致します。
筆者の阪崎さんは70才になりますが、気力ますます充実。今年ラジオのパーソナリティーとしてデビューし活躍を始めております。また、美術解説者試験にも見事合格し、道立近代美術館で絵画に関しての解説の社会活動もされております。
新シリーズ「3ミリメートルの悦楽」は、読む力、理解し考える力、行動する力を読書と本を通して鍛えることを提唱するものです。言わば毎日継続するそれぞれの1ミリメートルを積み重ね“1日3ミリメートルの前進を喜ぶ”大切さを考えて頂きたいと思います。きっと明日はもっと良いことがありそう!と感じられることでしょう。
どうぞお楽しみに。

3ミリメートルの悦楽

■10.千の風になって・・・・・
〜いのちは永遠に生きる〜            さかざき けんじろう

阪崎 健治朗

1 いのちの風

まるで眠っていた生き物が少しずつ這い出てくるような弥生3月。さて、いよいよ春は豊かな色彩と香りを乗せて、本格的に訪れてくるのだろう。3月の初めに近くの大きな公園を歩いていたときは、池一面に氷が張っていてその上を雪が覆いかぶさっていた。まだ春は遠いのだなあと思いつつ、強い風にあおられながら身を屈めて通り過ぎて行ったものだ。それから1週間、同じところを歩いて辺りを見回すと、氷が解け始めた大きな池はまるで水溜りが出来たように、あちらこちら幾つかの窪みを作っていた。それは、うららかな春の予兆。どこからか吹いてくる風はまだ名残の冷たさを感じるものの早春の気配だ。足をとめ深呼吸すると、胸いっぱいに広がるほのかに甘い春の空気。

そんな風を感じていた頃、滅多に楽器店などには寄り付かないぼくだが、一目散に小走りするようにショップへ出かけ新井満さんが出した「千の風になって」を買った。繰り返し何度も聴き、高まった感動、心の動揺を隠しておくことができず、多くの親しい人に話した。生きることと死ぬことを並列的に考え、死もまた生きて働いているのだ。きっとどこかで、と思った。ぼくはこの「千の風になって」と言うテーマで毎週パーソナリティをしている東区にある「FMさっぽろ村ラジオ」の「人の絆を創るために」の番組の中で3回もかけた。そのうちの伴奏だけの部分をBGMにしてぼくはその詩を読んだ。多分このCDはそんな思いも込められて制作されたのだろう。

私のお墓の前で  泣かないでください
そこに私はいません  眠ってなんかいません

千の風に
千の風になって

あの大きな空を
吹きわたっています

友人から、こんなメールが届いた。『「千の風」をお好きと知ってびっくり致しました。我が家の最近は「千の風」ブームで一日中「千の風」が吹きまくっています。Yさん(夫)は「T子(メールをくれて方)の追悼式の準備だと言って一生懸命「千の風」を練習しています。まだ、人様の前では無理があります。私は、当分遠くに旅立つことは出来ないでしょう』という内容だった。ぼくは思わず笑ってしまった。一生懸命覚えようとするオンチ?の歌手と、まだまだ歌うのは早いわよ!と言わんばかりの妻との愉快な会話の中にユーモラスな絆を感じさせてくれた。

それにしてもこんなに多くの方が愛唱すると言うのは、どうしてだろうか。放送中にくださったメールには「心うたれる」と書いてあった。この曲を聞いて感動し、深く心にしまいこんでいたものを思い起こし、追慕の情にかられた涙。それは父や母のことであり、また自分の子どものこと、愛していた恋人との別れ、友人のこと、様々な追憶が折り重なるようにめぐりめぐってきた人も多いと聞く。でもこの歌には別れは悲しく辛いが、別れを体験した多くの人々に「亡くなってなんかいない」永遠の眠りについているのではないよ、私たちの心の中で生きているんだ、と慰めつつ生きる希望へと導きささやいてくれるものではあるまいか。

2 かけがえのない人の死と向き合って

新井さんは「千の風になって」を聴く時に、いわさきちひろの描いた絵本もぜひ見てほしいと言っておられたので、それも一緒に買った。例のちひろの絵は本当に優しく、愛らしくそれでいてどこか大人びた表情と憂いを込めた描写の美しさは誰もがひと目で好きになる絵だ。

新井 満さんは、この曲を作るきっかけについてインターネットでつづっている。それは自分にとってかけがえのない幼友達の友人の夫人がガンで駆け足のごとく逝ってしまわれ、悲嘆にくれる友人や子どもたちにどんな言葉さえ伝わらないことを知ったショックだったという。 明るく社会的な活動を活発にしていた元気な夫人が幼い子どもたちを残して先に旅立っていった悲しみは惜しんでも余りある程の辛い体験だった。周囲の友人たちもまた打ちひしがれながら、どうにかして共に心の悼みを分かち合えないものかと相談し、夫人を偲んで「天の風になって、Kさんに寄せて」といういわば追悼の文集を作ったそうだ。このことを知った新井さんは一読して感銘し、すぐ歌にしたいと思い、長い時間をかけて原詩を探しだし、やっと見つけて翻訳し、自分流に訳して歌唱したのである。Kさんの偲ぶ会の前で「千の風になって」は披露され、出席した人はみな、又新たな涙を流し、その歌の意味をかみしめるようになった。大体そんな内容だった。

昨年だったかと思うが、一人の少女がニューヨークの0番地の追悼式の中で、英語の詩を読んでいた。心に訴える詩だった。その詩こそが千の風 「a thousand winds」 である。詩の冒頭に「Do not stand at my grave and weep」とある。2001年の9.11の事件からもう6年が過ぎていた。犠牲者の家族や友人・知人・そして関係者は永遠にあの惨事を忘れることはないだろう。しかし、解決への責務は、むしろ戦争に関わり指導してきた政治関係者たちの間にこそ問われるべきで、犠牲を強いられた人々は、長い怒りを抱きつつそれを単なる犠牲とせず、新しい平和への礎として受け止めようとしている。そこには意味なく散らされていった人々がなぜ命を失ったのかを静かに追慕し自問自答している姿を見る。そして私たちを見守り、生きて働いてくれていることを信じることへ転化しようとする冷静さとささやかな癒しを分かち合おうとする赦しがみえる。

新井さんはこの詩を見事に深く読みこなしただけではなく、容赦なく相手を討ち倒してしまう理不尽な戦争の罪悪性と、異界に移った人々のことを常に心に刻み、どんなに辛くても、人はどこかに優しさや美しさを持ち、そっとわたしたちの側に立つ心の伴奏者になってくれているのだろうと信じていたに違いない。だからこの歌がよい曲としてだけではなく、共感を呼ぶ「魂の歌」になったのだと思う。

3 心の叫びそして赦し

新井さんにも別れの経験がある。幼くして父を突然なくし、悲しむどころか、なぜ幼い子供や母を残して死んだのかと、長い間恨んでいたと言う。仏前の父の写真を見ても赦すことはできないまま青年期へと進んでいく。しかしあるとき、老師と出会い「もしかすると、お父さんは、早死にすることによって、早死にしたその分いのちを息子のあなたに託したのかもしれませんよ。つまりプレゼントですよ!」と言われたそうだ。「断腸の思いでなくなっていったお父さんの願いは、あとを幼いあなたの姿に託そうと願われたのではないか」と諭された。新井さんは今まで憎んでいた自分を顧み、確かに父は死んだけれど、今は風に生まれ変わっているのだ。鳥になって、夜は星になって、また光となって私たちにふりそそいでいるのだ。幾重にもなった風になって、生者を守っていてくれるのだ。新井さんはやっと心の咎から解き放たれ、父を受け入れるようになったと言う。

悲しみは一時のものであって、その悲しみを越えるためには今自分に与えられているいのちを無駄にすることなく、燃焼させることだ、と教えているように見える。木枯らしの吹く寒い日、どんどん風に吹かれて散り落ちていく葉っぱは大きな幹の下に静かに目を閉じ、人はその上を踏んでいく。しかし、それは朽ち果てて死んだ葉っぱではなく、新しく生まれる春に向けての準備をしているに違いない。いのちは永遠だ。何に生まれ変わっていくのかは誰も知らない。知る必要など無い。死ぬということは新しい誕生にバトンを渡すことだ、と気づく。

一個の人間として考えたとき、たった一人しかいない自分を、たった一度しかない一生を本当に生かさなかったら、人間生まれてきたかいがない、と思えば自然に力が湧いてくるのではないか。アメリカのヘンリー・ヴァン・ダイク(アメリカ牧師)はこういっている。「人生を喜び楽しめ。人生は人を愛し、働き、遊び、星を眺める機会を与えてくれる」と。そうだなあと思う。

阪崎健治朗HP http://www16.ocn.ne.jp/~com212/

■筆者プロフィール
阪崎 健治朗 SAKAZAKI KENJIROU
生年月日: 1935年(昭和10) 12月25日
学歴: 日本大学文理学部英文科(通信)卒業
職歴: 中学校教諭を経て、神戸・北九州・富山・日本YMCA同盟北海道の各YMCA勤務。その他、大学の講師として「集団組織論」、「基礎作業学レクリエーション演習」、「国際ボランティア論」、「国際関係論・国際交流論」等を担当。
社会活歴: 人間講座主宰(ロビンソンデパート)
研修歴: 感受性訓練(JICE)、交流分析(TAT)受講。
著作: 「職業と人間形成」(共著)(日本YMCA同盟出版)
「神戸とYMCA百年」(神戸YMCA)
「ボランティア論」(青葉書店)
「国債理解 重要基礎用語300」(共著)(明治図書)

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