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「五穀豊壌記」に続き、阪崎さんの新シリーズも月1回でスタート致します。
筆者の阪崎さんは70才になりますが、気力ますます充実。今年ラジオのパーソナリティーとしてデビューし活躍を始めております。また、美術解説者試験にも見事合格し、道立近代美術館で絵画に関しての解説の社会活動もされております。
新シリーズ「3ミリメートルの悦楽」は、読む力、理解し考える力、行動する力を読書と本を通して鍛えることを提唱するものです。言わば毎日継続するそれぞれの1ミリメートルを積み重ね“1日3ミリメートルの前進を喜ぶ”大切さを考えて頂きたいと思います。きっと明日はもっと良いことがありそう!と感じられることでしょう。
どうぞお楽しみに。

3ミリメートルの悦楽

■12.母とぼくとの絆            さかざき けんじろう

阪崎 健治朗

この原稿はちょうど「母の日」を迎えた5月13日に書いた。毎週ある地域放送局でパーソナリティとしてもっている番組で、今回の放送タイトルを「わが母に寄せて」としたことから、今は亡き母を少し思い返そうとしたのが原稿の下地にあった。ちょっとジョークを入れてお話すれば、その前の週にとうとう「親知らず」という歯を抜かれてしまった。で、これから書こうとしているのは、恥ずかしく哀しく懐かしいぼくの『親知らずの話』をさせていただく。

母は1995年阪神大震災のあった1月17日のちょうど翌月2月17日に逝った。地震の影響を受けた犠牲者の一人である。医師の診断は脳梗塞による肺炎だった。83歳の波乱の生涯であったと思う。ぼくはすでに札幌での生活に移っていたために看取ることもできず、無言の別れとなってしまった。母と最後に会ったのは、亡くなる数年前だと思う。長い間離れていたし、音信も途絶えがちになっていた。

久しぶりに母を見舞うためにK市にあるその病院に着き、ふとあたりを見渡した。病院の前を流れる川、渓谷、雑木林を見たとき、ぼくは一瞬はっとした。そこは紛れもなくぼくの闘病の場所だった。今から45、6年前このあたりにあった結核療養所で絶対安静の我が身を横たえていたところだった。思わず目頭が熱くなり、抑えきれないほどの心の高まりを感じた。姿を変えてそこは高齢者のための病院に変わっていたのである。なんという不思議なことか。心配して見舞ってくれていた母がいま同じところに重い病に侵され身を横たえているのである。ぼくが来るのを心待ちしていたはずの母だが、ぼくの顔を見ても、まるで他所の人が来たのかなといった表情を見せ、まともにぼくと目線をあわせようとしてくれず、あらぬところをじっと見ているのだった。言葉をかけてもほとんど無表情のままだった。

まるで背けていたようにみえた。すっかり弱りあの迫力のあった母の変わり果てた姿に時の移ろいを感ぜざるを得なかった。無理もない、もう何年も会っていない間に、すでに認知症にもかかっていたようだった。 母はぼくがまだ家族の一員として同居しているときのずっと以前の青年時代の顔しか浮かんでこなかったらしい。「この人は自分の息子ではない」と後に姉に漏らしていたことを聞いて、悲しみに包まれた。母もまた哀しそうな愁いを帯び、物憂げで沈んだ表情をみせながら、心の中で一生懸命自分の子どもかどうか確かめていたのかもしれなかった。

母は本当の自分の息子と会わずに人生を終えたのだろうか。それにしても哀しい別れだった。車椅子に乗せてもらって玄関先まで一緒に歩き、ぼくが「さよなら」といったとき少し表情が緩んだようにも見えた。「元気でやりや」と心の中でそう励ましてくれているようにも感じた。母はいつまでもいつまでもぼくの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。それが最後に見た母の姿だった。

半年ほど前だったか。「そうかもしれない」という映画を観た。その最後のシーンで、夫であることの分別さえつかなくなって高齢者ホームで生活する妻は、見舞いに来た夫を無表情に見つめ、ただ夫に手を握ってもらいながら、「さようなら」と一声をかけて妻の下を去っていく夫の後姿を見て、ふと漏らした言葉「そうかもしれない」。それはきっと「私の夫かもしれない」とかすかに残った記憶をしぼり出すように思い出し、にっこりと安心しきった穏やかな表情が二人の間に通い、かすかだが確かな愛、絆を感じさせる場面だった。ぼくの母もそんな気持ちで見送ってくれたのだろうかと思うと、ぼくは、母を思い出して涙が止まらなかった。子どもに何かを言い残したい、しっかり見届けておきたい、と思いつつ、もはやその言葉すら選べない母は、まともにぼくを見ていないようだったが、心の中ではいっぱい思い出してくれ、いっぱいぼくに話しかけてくれていたと信じたい。

明治の末、比較的裕福な呉服屋の長女として生まれ育った母。当時は「こいさん」と呼ばれて、身の回りを女中さんと呼ばれていたメイドさんに面倒を見てもらうような家で育ったらしい。いくらでも高等女学校に進学できたが尋常小学校で教育を終えた。そして戦争で家は焼け、一転して貧しい家庭の妻となって7人の子どもを授けられたが、そのうち二人を幼くして亡くし、5人のぼくたち子どもは今でも散らばって日々を送っている。それぞれが今、人生の黄昏を迎えようとしている。母が亡くなった3年後、父も静かにこの世を去った。92歳だった。

今年の「母の日」に海外に暮らすぼくの子供は妻に美しい花を贈ってきた。この若い子どもの年に自分を重ね合わせると、ぼくは母に心から喜んでくれるようなことをしたか、そして母はぼくに何を一番望んでいたのだろうか、と深く考えさせられた。2番目に生まれたぼくだが、すぐ上の子どもを幼年時代に失ったためにぼくが長男となった。家族の中で、「長男」という冠が古い体質の日本の伝統を楯に都合よく使われたり、押し付けられたりしてきたことにぼくは我慢ならなかった。こんな小さな貧しい家庭の中でも身分制度は生きていたのである。ぼくはそのことがどうしても耐え難い精神的重圧だった。長男の責任にずいぶん抵抗をし、そのたびに母や姉妹たちやそのパートナーたちと口争いをしていた。虚弱で非力な又経済力のないぼくは名ばかりの惣領の甚六だった。

にもかかわらず、母は人一倍ぼくのことを心にかけ、はかり知れない心配を重ね、悩みを抱えていたように思う。ことに長男としての存在感を他の子どもに示したかったのだとも思う。そしてもっとも母が辛かったのは、ぼくが高校生のとき2年もの長患いで長期休学をし、毎日誰とも会うこともなく天井を向いての生活に嫌気をさし、死んだほうがましだと、毎日のようにめそめそしていた一番暗い日々の時期だっただろう。貧しい家庭ながら、何かと母なりの気配りを怠ることのない愛情にも気づかず、不機嫌な態度とわがままな振る舞いは母を困らせたに違いない。何も言わずに、もしかして自分の子育てのせいだと思わんばかりに精一杯のことをした母の困惑した表情が今も脳裏に残り、胸が痛くなる。

亡くなって13年という時の流れは、次第に薄れゆく部分と、今も鮮明に残る母の涙とがぼくの心を交錯する。母は波乱に富んだ人生をそれでも楽しんだと思う。明るくて、言いたいことを言い、付き合いの好きな母で、世間体を誰よりも気にかけ、何とかなる、といった陽性な部分を持っていたが、その実、心の内は多くの不安を抱いて戸惑いの日々だったかもしれない。今となっては確かめようもないし、そんなことをしても何の意味もない。人は時には大笑いし、またひそかに悔し涙を流し、どうしても赦せないことがあったりして、一生の内でちぢに乱れることも多い。少しずつ母の年齢に近づくにつれて、千変万化した自分がどんな人間か気づくし、相手の立場に立てるようになっていくことも分かりかけてきた。自分の子どもと向き合う親としての務めが見えてくるのである。母が折々流していた涙は、最後に会ったあの渓谷のリズミカルな水の流れのように、どこかの大海にたどり着く。朝も夕も同じリズムで流れる大河のように、母は最期まで変わらぬ『愛』と『優しさ』を失わなかったのだろう。それはぼくが親として自分の子どもを常にこよなく愛していることからも十分わかる。人の命はいつか絶える。しかし絶えることに重きを置くのではなく、いまある命は誰のために残されているのかを考えながら、ぼくは生涯、父や母が担ってきた重荷を引き継いで、ずっと負い続けることになるだろう。絆は切れることはない。今年の「母の日」は、そうした母の生涯を、ぼくは一日中回顧していたのだ。 (完)

■さかざき君のビタミン読本「3ミリメートルの悦楽」は、今回でシリーズ最終回を迎えました。1年間にわたりご声援くださいました多くの読者の皆様には心からお礼を申し上げます。また筆者の阪崎健治朗さんにも感謝を申し上げます。さて装いも新たに、さかざき君の新シリーズ3を始めることになりました。詳細が決まりましたら、改めてご案内いたしますので、どうぞお楽しみに。

阪崎健治朗HP http://www16.ocn.ne.jp/~com212/

■筆者プロフィール
阪崎 健治朗 SAKAZAKI KENJIROU
生年月日: 1935年(昭和10) 12月25日
学歴: 日本大学文理学部英文科(通信)卒業
職歴: 中学校教諭を経て、神戸・北九州・富山・日本YMCA同盟北海道の各YMCA勤務。その他、大学の講師として「集団組織論」、「基礎作業学レクリエーション演習」、「国際ボランティア論」、「国際関係論・国際交流論」等を担当。
社会活歴: 人間講座主宰(ロビンソンデパート)
研修歴: 感受性訓練(JICE)、交流分析(TAT)受講。
著作: 「職業と人間形成」(共著)(日本YMCA同盟出版)
「神戸とYMCA百年」(神戸YMCA)
「ボランティア論」(青葉書店)
「国債理解 重要基礎用語300」(共著)(明治図書)

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