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「五刻豊穣記」「3ミリメートルの悦楽」に続く、さかざき君の新シリーズ3がスタートです。高度に発展してきた現代社会のなかで、ともすれば軽視されそうな人と心の有り方を最も大切に考える筆者からの「考える手紙」これまで同様、今シリーズのテーマです。テクノロジーの長足の進歩によって、巨大な恐竜のようになってしまった文化・文明をもう一度仔細に眺め、人と心を考えてみたいと筆者、阪崎さんは考えています。悩みながらもしっかりと前進する高校生、大学生、社会人のみなさんにとって新シリーズが“明日の自分を考える”きっかけになればと思います。隔月掲載の6回シリーズ、どうぞお楽しみに。

恐竜の虫めがね

■5.心を闇に閉ざす少年と盲聾の老女       さかざき けんじろう

阪崎 健治朗

ある夏の午後、心に深い傷を負い何度もリストカットをしては自分の死に場所を求めてさまよい漂っていた中学生の少年は、いつしか街から離れた雑木林にぽつんと建つ粗末な一軒家の前に立っていた。

外に干してあった洗濯物の衣類を取り込むために家から出てきた盲聾の老女は、何か人の気配を感じ「だれ!」と恐怖の声を上げた。もちろんそこに立つ人物は見えやしないし、相手の声も聴こえない。少年は、あわてて干し物を放り投げたまま家に逃げ込んだ彼女を追って、拾った衣類を手にそのまま家の中へ入っていった。

老女は相手の言葉を聞き取ることは出来ないが、幸い言葉を話すことが出来た。いつも手のひらにカタカナで字を書いてもらって、何とか相手との対話を可能しにしていた。少し安心した老女は、闇に心を閉ざしいつも自分の死を考える少年とこうして出逢ったのである。

映画「ヘレンケラーを知っていますか」は、こうしてここから始まる。

もらったチラシには「手のひらから生まれる無限の世界、手のひらが結ぶ無限の愛」と書かれていて、「人々を感銘させた童謡詩人金子みすゞを生んだ山口県で、盲聾のハンデを背負いながらも強く生きている一人の女性がいた」と説明が添えてある。この主人公の老女を演じたのはNHKドラマ「おしん」で有名になった小林綾子で、少女時代から78歳の現在までを通して演じている。

山口県に在住する重複障害を持つこの老女は今も一人で暮らしている。毎日介護士が運ぶ朝晩の弁当を「はい、おばあさん食事を持ってきたからね。ここにおいておくよ」といって帰っていく以外は、殆ど訪ねて来る人もいない。だが、たまには役所の職員が気に掛けてやってくることもあるのかもしれない。

静寂の世界に一人時間を過ごす。鳥が鳴いても聴こえず、木々のざわざわする音も耳に届かず、真っ青な空も夕暮れの沈む太陽の美しさを知ることもなく、暗黒の世界の中で体の習慣が一日のサイクルを覚えての生活をする。それでもそよぐ風を肌で感じ、今日はよいお天気だと知ると、外の物干し場に洗濯物をかけていく。そんなときいつも口ずさむ詩がある。楽しそうに老女が声を出してまるで誰かに聞かせているように詠んでいる。

わたしが両手をひろげても
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地べたをはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

この詩は金子みすゞが詠んだ「わたしと小鳥とすずと」である。山口県の長門市仙崎に生まれた金子みすゞは、若くしてわが子を残して自らのいのちを絶っている。結婚して家庭には恵まれなかったが、みすゞの詩の才能は早くから西条八十らに見出され、若き童謡詩人の中の巨星として世に知られるようになる。詩は優しく常に愛情が込められていて今でも仙崎の人々はみすゞを忘れない。78歳の老女はみすゞの詩を口ずさみながら一人で語り楽しんでいたのである。

この映画の下地になったのは視覚、聴覚、言語の三重の障害を持ちながらも、その生涯を人権や身体障害者の福祉と教育に捧げたヘレンケラーである。初めて手のひらに流れる水を「これが水というものよ」と家庭教師のサリバン先生に教えられるなど、ヘレンに生きる希望を失わせなかったサリバン先生との麗しい関係を生涯続けたことは、多くの著書に記述されている。映画「奇跡の人」が世界中を感動の渦に巻き込んだことを記憶している人は数多いはずである。

まさにヘレンケラー同様に重度の障害者ではあるが、この老女にはサリバン先生のような生涯寄り添う人もなく母の死後たった一人で暮しているところが違う。

次第に打ち解けあった老女と少年は毎日のように老女の家でいろんな話をする。生まれてくる絆は少しずつ強くなり、少年もまた再起するきっかけを掴んでいくのである。

22歳で視力を失い、父を早くに亡くし、母子二人で生活を続け、自立して生きていけるようにと鍼灸の技術をつけさせる母親の献身的な支えは、次第に母親自身の体を蝕んでしまい、40歳の時とうとう大切な母親が急死してしまう。途方に暮れながら自分独りで生きていくしか術のない彼女は、やがて大きな困難に阻まれる。こういうときこそ近所の人々が共に助け合うのが人間の道であるはずなのだが、こっそり立ち退きの署名を集め役所にもって行き、強制退去をさせられてしまう。役所は誰も住まない雑木林の中に小さな粗末な家を与え、そこに住まわせたのだ。

この場面はとても切なく悲しい。心がキシキシ痛み、激しい憤りを感じる。日本人はこんなに冷たかったのかと。政府はもちろん役所が排除の姿勢とはいったい何なのだ、と怒りを越えて哀しい気持ちに襲われてしまう。この殺伐とした社会は金銭的追求の生活の結末として、他人を排し他人を害してでも、とにかく自分だけを護ろうとするエゴイズムが当たり前の社会、世間に作り変えてしまった。この映画は、私たちに立ち止まって何が愛でありどんな姿が美しいかを深く考えて欲しいと懇願しているように思うのである。

えてして社会派と言われるこのような映画は、一般上映館では取り上げられない。みんなでカンパしたり、人から人へと伝えていきながらその輪を広げていくことでしか観ることができないようだ。ただ、少しずつ各地の市民会館、ホールなどでの上映がされているようで、ぼくにとっては嬉しいことだ。しかし正直なところ、こうした状況は少し悲しいことのようにも思う。

映画「ヘレンケラーを知っていますか」は、自分が感動し多くの人にその感動を共に分かち合いたいと願う一人の知人の女性が、必死の熱意と炎の執念で上映の運動を広げた。会場は立つ人さえ出るほどに努力が実ったのだった。

金子みすゞが詩のなかで表現した『みんなちがって みんないい』という言葉は、人はみんな違った存在として創られており、その根源である「愛」を分かち合い、違いを認め合ってこそ、美しい人間ができると説いているように思う。まず他者を少し受け入れることから始めることであって、排除することからは何も生まれてこない。

『あなたは他者を大事に受け止めようと常に考えて生活をしていますか、ほんの少しでも』

ぼくも、あなたもそう問いかけられているのである。

阪崎健治朗HP http://www16.ocn.ne.jp/~com212/

■筆者プロフィール
阪崎 健治朗 SAKAZAKI KENJIROU
生年月日: 1935年(昭和10) 12月25日
学歴: 日本大学文理学部英文科(通信)卒業
職歴: 中学校教諭を経て、神戸・北九州・富山・日本YMCA同盟北海道の各YMCA勤務。その他、大学の講師として「集団組織論」、「基礎作業学レクリエーション演習」、「国際ボランティア論」、「国際関係論・国際交流論」等を担当。
社会活歴: 人間講座主宰(ロビンソンデパート)
研修歴: 感受性訓練(JICE)、交流分析(TAT)受講。
著作: 「職業と人間形成」(共著)(日本YMCA同盟出版)
「神戸とYMCA百年」(神戸YMCA)
「ボランティア論」(青葉書店)
「国債理解 重要基礎用語300」(共著)(明治図書)

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