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・=ぶつかった方が、いいよ。=「五刻豊穣記」さかざき君のコラム
・=ぶつかった方が、いいよ。=「五匹の猿を退治しろ!」うずまさ君のコラム


“強くなくては生きていけない、優しくなくては生きている資格はない”
どこかで目にし、耳にしたちょっと有名なセリフです。
心のビタミン・コラムは、中学生、高校生、大学生の諸君には、これからのキミの生きていく未来を考えるきっかけに。
すでに社会に出て活躍されている方、あるいは多少失意の中にある方には、もう一度、自分を考えてみる端緒に。
そして、長い間会社や社会につくされ、おおいなる安息の日々を過ごされている方には、来し方に思いを馳せ、より良き明日の活力にして頂ければと念じて、連載いたします。隔月で交互にお楽しみいただけます。

五匹の猿を退治しろ!

■第1講 二匹の猿よ、さようなら うずまさ やすのり

(昔あるところに、靴を売る二人のセールスマンがいました。二人は会社の命令でアフリカのある町に靴を売りに行きました。アフリカの町について直ぐ、一人のセールスマンから会社に連絡が入りました。
「社長、この町では靴は売れません。町の人は皆はだしで外を歩いているんです」
 そのセールスマンはここに居ても仕方がないので、直ぐに帰国すると告げました。その時、もう一人のセールスマンから電話が入りました。
「社長、喜んでください。靴がどんどん売れそうです。何しろ、この町の人は皆はだしなんです。お客さんはいくらでもいますよ」)


 この話は、以前ある会合で聞いた話だ。面白い話だと思って、僕は以後会社の研修会などで時々使わせてもらっている。読んでお分かりのとおり、「町の人が皆はだし」という同じ現象を見ても、見る人によって大きな違いが生じるものなのだということが、この話のポイント。プラス思考のセールスマンは、「商売拡大のチャンス」と捕らえて勇み立ち、一方マイナス思考のセールスマンは、これを「売れない、売らない、売りたくない」理由にしてしまうというわけだ。僕たちの行動は「やる気」の如何によって決まってくる。朝目覚めて起きるか、起きないか、朝食を食べるか、食べないか、学校や会社へ行くか、行かないか、そんな日常的なことから、新しい何かに挑戦するか、しないかということまで、何事もその気になるかどうかで決まってくる。やる気、やる気で前進していけば、人生はどんどん広がり、明るく面白いものになって行く。逆に何でも理由をつけてやらなければ、人生はどんどん狭く先細りになり、暗くつまらないものになって行く。やらない理由なんかは、いくらでも考えつく。本当はやる気がなくて、それを正当化するために考えたものなのだから。

 俗に五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)というけれど、その中でも見る(視覚)と聞く(聴覚)は、情報を入手する上で、もっとも大切なものだ。僕たちは見たり、聞いたりして情報を入手し、それに基づいて行動したり、活動したりする。このことは赤ん坊を観察していると良く分かる。生まれたては目も見えず、耳も聞こえない赤ん坊も、そのうちに音のする方へ顔を向けたり、お母さんの姿を目で追ったりするようになる。やがて、あやされると笑い、親の姿や面白そうなものを見ると這って行く。目で見たり、耳で聞いた刺激(情報)に対する反応が日々活発になって行って、幼稚園児ともなると、「なんで、なんで」と見聞きするものすべてを不思議がり、知りたがる。このような子供の成長を見ていると、人間は本来目や耳で常に新しい情報に接し、知識を得るとともに、新しいことに挑戦し、成長していくものなのだということが良く分かる。その途中、転んだり、椅子から転がり落ちたりといろんな失敗を繰り返しても、子供はめげることなんかない。

 でも、だんだん歳を重ねると、失敗や挫折体験が人間に臆病や怠惰の種を植えつけ、ともすれば面倒なこと、厄介なことから逃げよう、楽をしようという体質を作って行くのだ。面倒なことから目をそらす、厄介なことは聞こえない振りをする。かくして見猿、聞か猿(見ざる、聞かざる)の二匹の猿が人間に住みつき、育って行く。もしかすると、それが老化ということかもしれない。老化は年齢の問題ではない。年齢の上では年寄りでも、見猿、聞か猿なんかが住んでいない若々しい人もいれば、まだ若いのに早々と二匹の猿が住みついてしまった年寄りもいる。大事なことは気の持ちよう、心の持ちようなのだ。

 というわけで、人間からやる気をそいで、若年寄りにしてしまう二匹の猿を、まずは退治しようじゃないか。


「心のビタミン・コラム」のもう一つが、いよいよ始まりました。頭で考え、心で聞いてください。明日の一日が楽しみになる、そんなちょっと奇妙なエネルギーを感じませんか?さて、次回お楽しみに。


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