心のビタミン・コラム バックナンバーはコチラ

・=ぶつかった方が、いいよ。=「五刻豊穣記」さかざき君のコラム
・=ぶつかった方が、いいよ。=「五匹の猿を退治しろ!」うずまさ君のコラム


“強くなくては生きていけない、優しくなくては生きている資格はない”
どこかで目にし、耳にしたちょっと有名なセリフです。
心のビタミン・コラムは、中学生、高校生、大学生の諸君には、これからのキミの生きていく未来を考えるきっかけに。
すでに社会に出て活躍されている方、あるいは多少失意の中にある方には、もう一度、自分を考えてみる端緒に。
そして、長い間会社や社会につくされ、おおいなる安息の日々を過ごされている方には、来し方に思いを馳せ、より良き明日の活力にして頂ければと念じて、連載いたします。隔月で交互にお楽しみいただけます。

五匹の猿を退治しろ!

■第3講 「考えざる」は駄目、「考える猿」になろう うずまさ やすのり

太秦 康紀(ハメリンの町は、ひどいねずみの被害に悩まされていた。猫も歯が立たないほどのねずみの大群が、我が物顔に町を荒らしまわっているのだった。町の人たちが困り果てているとき、一人の笛吹きが町を通りかかった。ねずみを退治してくれるという笛吹きの申し出に、町長は一も二もなく飛びついた。笛吹きの吹く笛の音につられて、町のいたるところから現れたねずみたちは、群れをなして笛吹きの後をついて行き、次々と海へ飛び込んで行ったのだった)

 僕が小学校5年生のとき、太平洋戦争が終わった。それは丁度夏休みの最中だった。ラジオで天皇陛下の大事な放送があるということで、僕は母親と一緒に家でそれを聞いた。古い箱型のラジオから、天皇陛下の「玉音放送」が流れてきた。聞き取り難い内容だったが、戦争が終わったことは僕にも分かった。放送が終わったので、僕はまた外へ遊びに行った。日本が戦争に負けたのだという悲壮感はまるでなかった。当時の僕は、その程度の幼さだったのだろう。戦争中も、敗戦後も僕はちっとも変らない僕だったのだ。

 変ったのは大人たちだった。それまでは、二言目には「鬼畜米英」という言葉を聞かされた。「撃ちて死やまん」、学校の先生がしきりに僕らにそう言って聞かせた。先生に教えられるままに、僕らは意味も分からずに、その言葉を唱えさせられた。「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」、そんな標語がいたるところに張られていた。「出て来いニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし」、喜劇俳優のエノケンがラジオで面白おかしく唄い、僕らも真似して盛んに唄った。そんな大人たちがガラっと変ったのだ。「一億一心火の玉だ、大和魂伊達じゃない・・・」と唄っていたのに、軍部の吹く笛が鳴り止んだとたんに、ツキが落ちたように変ってしまったのだった。

 占領軍の最高司令官、マッカーサー元帥がコーンパイプをくわえて厚木基地に降り立ったとき、多くの日本人は憧れに似た気持ちで、その颯爽とした姿を仰ぎ見た。ついこの間まで、「鬼畜米英」の総大将であり、「出てくりゃ地獄へ逆落とし」だった筈の当人をである。その日から、日本の笛吹きはマッカーサーに変ったのだった。夏休みが終わって学校へ行ってみると、学校の雰囲気もガラッと変っていた。夏休みの前まで恐かった先生たちが、急に優しくなっていた。先生はアメリカを礼賛し、日本の悪口を言った。日本はそれまでの一等国から四等国に変わったのだということを先生に教えられ、「日本は四等国である」という綴り方を書かされた。こんな馬鹿な国は、世界でも珍しいのではないだろうか。普通なら日本は戦争には負けたけれども、皆は決して日本人の誇りを失ってはならないと教えるものだろうに。日本の敗戦によって豹変した大人たちを見て、僕は彼らに対する深い不信感を抱いたのだった。今も権威を容易に信用しない僕の性格は、この敗戦体験に根ざしたものだと思う。
「今、日本の笛吹きは?」という問いに、そんなものはいないよと言うかもしれない。今は皆が自分で考え、自分で行動している時代だ。誰に強制されているわけでもないと。だが本当にそうなのだろうか。戦後の教育は、だんだん物を考えない人を作ってきたのではないかと、僕は思っている。いつも答えがあって、どれが正解かを選ぶ人を作ってきたのではないだろうか。途中のプロセスは軽視され、正解さえ選べればいい、あのクイズの「ファイナルアンサー」の世界だ。何故そうなるのかは分からなくても、正解さえ選べればいい世界だ。最近短絡思考と言われる人が増えているようだ。それは考えることを放棄して、すぐに答えを見つけようとする習慣から生まれてきたのではないだろうか。

 答えを提供してくれるところは沢山ある。それはテレビだったり、新聞だったり、いわゆるマスメディアだ。これらの機関は単に答えを教えてくれるだけではない。考え方まで教えてくれる。僕自身も自分で物事を考えているつもりだが、実はそれはテレビや新聞が考えたことを受け売りしているに過ぎないことに気がつく場合がある。世論と言われるものも、実際はほとんどテレビ、新聞にリードされていることが多い。そう考えると、今の笛吹きはマスメディアだということに気がつく。うっかりすると、僕らは彼らの笛に踊らされ、海へ飛び込んでしまう可能性だってあり得る。

 考えるということを、もっと大事にすべきだと思う。考えるということは、生きているということの証だ。いつの時代にもいろんな笛吹きがいる。その音色に惑わされてはいけない。バブル経済が崩壊し、右肩下がりの時代を迎えた今は、選ぶべき答えのない時代、考える力が求められる時代なのだと思う。「考えざる(猿)」ではいけない。

(ねずみがいなくなってみると、ハメリンの町長は笛吹きに謝礼を払うのが惜しくなった。怒った笛吹きの笛に誘われて、町じゅうの子供たちが笛吹きの後をついて行き、一人もいなくなってしまったのだった)


■ 自分が笛吹になったと思って考える姿勢が必要だねっ!行動の結果には必ずメリットとデメリットがあるものです。損得を短期間の判断ではなく、人の一生の中で判断する時、一般にデメリットと言われている事柄もコツコツ継続していくと、誰もがなしえない結果に結実していることがあります。もちろん収入も驚くほどの額になっています。そこに心の底からわき出る深い熱意があれば達成できるはずです。あなたの周りに100人の笛吹がいようとも。

太秦康紀HP http://www.rak3.jp/home/user/monkey69/


■筆者プロフィール
太秦 康紀 UZUMASA YASUNORI
1935年02月: サッポロで生まれる。
1958年03月: 北大法学部を卒業、4月に北海道銀行へ入行。
約28年間の銀行員生活を経て、1985年11月同行退職。
1985年11月: 医薬品問屋、(株)寿原薬粧の社長に就任。
1991年04月: 同業7社の合併によって誕生した(株)バレオの副社長に就任。
1996年06月: 同社常勤監査役に就任。
1999年04月: 再度の合併で社名は(株)ほくやくとなり、引き続き監査役。
2000年06月: (株)ほくやく監査役を退任。
2000年08月: 太秦事務所を設立、所長となる(経営コンサルタントを自称)

著作: ・しなやか散歩道(1995年2月 近代文芸社)
・しなやかれすとらん(2003年4月 北海道新聞社出版局)
・北海道新聞「朝の食卓」1998〜99年執筆
その他: 現在家庭裁判所家事調停委員、(株)スハラ食品監査役
(株)芭里絵監査役などを勤め、他に講演、文筆など気ままに活動中。
血液型 AB型、星座 うお座(たまにみずがめ座)、動物占いでは落ち着きのない猿。趣味は、映画鑑賞 格闘技鑑賞 ゴルフなど

上へ移動↑