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「五匹の猿を退治しろ!」に続き、この新シリーズは月1回でスタート致します。
軽妙洒脱な文体は、更に「うずまさ一刀流?」の鋭さを増し、すっと軽く読めるがズシリと心に響く。日々の暮らしに目を向け考え悩み前進する高校生、大学生、社会人のみなさんを暖かいまなざしで叱咤激励するシリーズです。ここには社会生活をする上でのさまざまな知恵がギッシリと埋まっています。お楽しみに。

犬の遠吠えねずみ鳴き

■巻の5「 島本 融さんのこと 」  うずまさ やすのり

太秦 康紀「商いは( )のよだれ」、この( )内に動物名を入れなさいという問題が出たら何を入れるだろうか。勘のいい読者の皆さんなら、「先月はねずみだったから、今度は牛だろう」と気づかれるかもしれない。
 そうです、「商いは牛のよだれ」が正解。牛は食べ物を反芻するので唾液が多い。反芻(はんすう)とは一度のみ下した食物を、再び口にもどして噛むことである。唾液が多い上に粘り気があるので、よだれが長く垂れる。商い、つまり商売のコツも牛のよだれと同じで、気長に続けることが大切、大儲けを狙ったりすると失敗するけれども、気長に根気よく続けていればいつかは成功するという教訓である。

 この諺を教えてくれたのは、北海道銀行の初代頭取である島本融氏だった。島本氏は戦後、昭和26年に発足した北海道の新設銀行である北海道銀行を地銀中堅の銀行にまで発展させた偉大な経営者である。島本さんの偉大さは、単に新設銀行を発足させ大きく育てたことに留まらず、人材育成に多くの情熱を注いでいたこと、地域の文化向上にも並々ならぬ貢献をしたこと、そして経営者としても類を見ない独特の発想で次々とユニークな施策を打ち出し、得意先、行員の尊敬を集めたことにある。ボクも縁あってこの銀行で行員として働き、島本氏から様々な教えを受けたのだった。

 どういう時に「商いは牛のよだれ」の話をされたのかは、もう覚えていない。何かの機会に地道な努力の大切さを教えたのだと思うが、その島本さん自身はやることが大胆で素早かった。何しろ銀行が出来て最初の5年間で、支店を70作ったのである。後から聞けば「ああ、そうですか」ということになるが、ゼロからスタートした銀行が僅か5年で70支店を開店するということは、並みの人には出来ないことなのだ。大体スタートした時は、新卒者などいないから、いろいろな銀行経験者の寄せ集め集団だったのだ。例えば旧道銀(戦前にも同じ名前の銀行があった)、拓銀、旧満州中央銀行、旧朝鮮銀行、旧台湾銀行、旧樺太銀行・・・・などなど、まるで銀行経験者の展覧会のような有様だったらしい。そうした寄せ集め集団を指揮して、島本頭取自ら全道を駆け回って支店を開設して行ったのである。北海道銀行の本店が開店したのが、昭和26年の3月、それからその年の12月までに37の支店を開設した。9ヶ月で37の支店を開いた銀行は、後にも先にも北海道銀行しかないであろう。まさにギネスブックものである。もう一つ付け加えれば、創業時の北海道銀行では「努力集団」という言葉がよく使われた。この言葉も島本さんが提唱したものだった。寄せ集め集団を「努力集団」に高めて行ったのも、島本さんの強いリーダーシップがあったからこそと言えるだろう。

「真似は本物よりよくならない」、この言葉もわれわれ行員はずいぶん叩き込まれた。常に人真似はするなと、われわれ行員に独創性を求めたのだ。島本さん自身も独創性と合理主義の精神を重視し、「世間がそうしているから」という発想を嫌った。ボクが銀行に入ったのは、昭和33年である。どこの会社でも、入社すると辞令をもらう。「どこそこ支店勤務を命ず」ということを書いたお免状のようなものをもらうのだ。ところが道銀には「辞令」がなかった。だからボクは辞令というものをもらったことがない。立派な辞令を渡すには用紙がいる。それを書く字の上手な人も必要だ。出来るだけ無駄を省こうとスタートした銀行に、そういう無駄は必要ないというのが島本さんの考えだった。出勤簿も止めてしまった。欠勤したり遅刻した者は、自己申告すればいいということだった。昭和30年代のこの頃、出勤簿がなかったのは道銀ぐらいだったのではないだろうか。

「教えること、教えられることには限りがある。これに対して自分で学ぶことには限りがない」、この考え方も島本イズムであった。こういう考え方の下に、島本さんは「自学の風」という行風を打ち立てたのである。そういう行風の下で育てられ、どれだけ「自学」したかと聞かれれば恥ずかしい限りだが、島本さんに教え込まれた物の考え方は、社会人としてのボクのバックボーンになったと思う。ずっと後に、ボクが会社を経営するようになった時、折に触れて思い出すのは島本さんの教えだった。

 伝票を繰りながら、一生懸命そろばんを入れている時、人の気配を感じてふと顔を上げる。すると丁度空いていた係長席に、大きな島本頭取がどっしり坐って、ニコニコしながらこちらの仕事振りを見ている、そういうことが時々あった。島本さんは偉大な経営者だったが、決して雲の上の人ではなかったのだ。普段はわれわれ若い行員にとても優しかったが、時には経営者としての恐ろしい目を見せることもあった。

 後にボクが経営者として難しい問題でいろいろ頭を悩ませている時、島本さんの恐ろしい、だが自愛に満ちた目が浮かんできた。その目は「商いは牛のよだれだぞ」と教えてくれるのだった。


▼ お知らせ ▼

筆者:太秦康紀さんは、昨年11月に3冊目となる本を出版しました。新風舎文庫「さらりー漫歩」。全国の書店で発売中です。
サラリーマンの喜び悩み、そして生きてゆく知恵と勇気、行動をユーモラスに鋭く描いております。ご自身の体験が底流に流れていますので、一種のドキュメンタリー作品としての側面も持っています。
札幌紀伊国屋書店の「話題の本」「新刊本」のコーナーに置かれています。またHBCラジオや読売新聞などですでに紹介されておりますので、一度手にとってご覧下さい。

「さらりー漫歩」著者::太秦康紀さん
「さらりー漫歩」
定価700円
(新風舎文庫)


太秦康紀HP http://www.rak3.jp/home/user/monkey69/


■筆者プロフィール
太秦 康紀 UZUMASA YASUNORI
1935年02月: サッポロで生まれる。
1958年03月: 北大法学部を卒業、4月に北海道銀行へ入行。
約28年間の銀行員生活を経て、1985年11月同行退職。
1985年11月: 医薬品問屋、(株)寿原薬粧の社長に就任。
1991年04月: 同業7社の合併によって誕生した(株)バレオの副社長に就任。
1996年06月: 同社常勤監査役に就任。
1999年04月: 再度の合併で社名は(株)ほくやくとなり、引き続き監査役。
2000年06月: (株)ほくやく監査役を退任。
2000年08月: 太秦事務所を設立、所長となる(経営コンサルタントを自称)

著作: ・しなやか散歩道(1995年2月 近代文芸社)
・しなやかれすとらん(2003年4月 北海道新聞社出版局)
・北海道新聞「朝の食卓」1998〜99年執筆
・さらりー漫歩(2005年11月 新風舎文庫)
その他: 家庭裁判所家事調停委員、(株)スハラ食品監査役
(株)芭里絵監査役などを勤めた。現在はTVコメンテーター、FMパーソナリティ、講演、文筆など気ままに活動中。
血液型 AB型、星座 うお座(たまにみずがめ座)、動物占いでは落ち着きのない猿。趣味は、映画鑑賞 格闘技鑑賞 ゴルフなど

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