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「五匹の猿を退治しろ!」「犬の遠吠えねずみ鳴き」「スクリーンは見ている」に続くシリーズ4作目がいよいよ連載開始です。今シリーズは筆者、太秦さんの暖かくまた厳しい観察眼がテーマです。自分以外の人やモノ、事柄から実に多くのことを学ぶものです。ただしそのためには、しっかりと良く見て深く考える必要があります。読者の皆さんには「うずまさ君の澄んだ目の考察」から皆さん自身の観察眼を磨いていただけるものと思います。高校生、大学生、社会人のみなさんにとって新シリーズが“明日をいきいきと暮らす”糧になればと念じております。より良く生きて行くための観察眼、ウイットと知恵。隔月掲載の6回シリーズ「うずまさ・ワールド」をどうぞお楽しみに。

観客席のポップコーン

■2.蛙の子は蛙がよろし               うずまさ やすのり

太秦 康紀

緞帳がゆっくり上がると、舞台には紋付に威儀を正した6名の落語家が平伏している。中央に人間国宝、桂米朝と小米朝改め桂米團治親子。その左右に居並ぶのは桂春團治、桂ざこば、桂吉弥等、上方落語の桂一門。そしてこれまた人間国宝である先代柳家小さんを祖父に持つ柳家花禄が東京落語を代表して馳せ参じた。奇しくも東西の人間国宝の子と孫が揃ったのだ。札幌における桂米團治襲名披露の一幕である。札幌、道新ホールはほぼ満員の盛況であった。

先代桂米團治は桂米朝の師匠であった。つまり五代目米團治を襲名した小米朝は、父親の名を継がず、父親の師匠の名を継ぐという重責を担うことになったのである。政治家が親の地盤、看板、カバン(お金)をそっくり引き継いで選挙に出るのとはわけが違う。馬鹿でもチョンでも当選する二代目、三代目政治家とはわけが違う。その名に相応しい実力と人気を備えていなければ、名跡の襲名はなかなか難しいのだ。仮に運よく襲名が出来ても、芸が伴わなければ鼎(かなえ)の軽重を問われることになる。もっと平たく言えば、「下手くそだねえ、襲名はやっぱり無理だったんじゃないの」と言われるということだ。

さて、なかなか厳粛な襲名披露であるが、口上に入るとそこは落語の世界。格調ある歌舞伎役者の襲名披露とは一味も二味も違う。口上というのは、居並ぶ落語家のご挨拶を兼ねたコメントだと思えばいい。桂吉弥が司会役で舞台上の落語家を指名し、その間米團治はずっと平伏したままだ。ちなみに桂吉弥はNHKの朝どら「ちりとてちん」で落語家、徒然亭草原を演じたお馴染みの人気落語家である。

その口上であるが例えば桂ざこばは、こういう話をした。落語家になりたくて中学生のざこばが後の師匠である米朝宅に会いに行った。応接で待っているときに、饅頭が出た。この饅頭を食べるべきかどうか迷っていると、そこへその頃幼稚園児だった米團治がチョコチョコと入ってきて、ざこばと饅頭を見比べていたかと思うと「これもろた」と言って饅頭をぱっと取った。師匠の米朝はざこばが饅頭を食べたと思っただろうが、食べたのは米團治である。饅頭が出たら迷わず食うべきだったと。これだけの話で会場を笑わせるのである。平伏した米團治もふふふと笑う。

さて父親の桂米朝であるが、息子の晴れ姿に高齢をいとわず大阪から駆けつけたのだ。米團治にとって、米朝は父親であると同時に師匠でもあるということになる。父親としても師匠としても、息子で弟子の米團治の晴れ姿は嬉しくてたまらない様子だった。「歌舞伎の口上は型があるのでありがたく思えるが、落語の方の口上は型があってもなくても値打ちがない」と言って笑わせる。そして米團治への口上については、「やりにくいし誉めにくい。ぼろくそにもできん。大きな名前には違いないので、一人前のはなし家になれるようお引き立てのほど、よろしゅう頼んます」と述べた。人間国宝としての威厳より、息子への自愛といくらかの照れの交じった挨拶だった。

子が親の仕事を継ぎ、しかもひょっとすると親を超えるかもしれない大名跡を襲名するとあっては、嬉しくてわくわくするような気持ちだったのだろう。

ボクの父親は北大の教授だった。親父としては息子が親の後を継いで大学の先生になってくれたらいいがと思っていたに違いない。ところが生憎息子のボクは出来が悪くて勉強嫌いである。何しろ北大の受験に失敗して親父に赤恥をかかせる始末だ。そんなわけで、勉強が嫌いでは大学の先生になれるわけがないし、自分でもなろうとも思っていなかった。甚だ親不孝者であった。子は親のものではないから、親の思い通りにならなくて当然だ。だが親としては、出来れば後を継いで・・・、と思うのも人情であろう。そうかと言って、小さい頃から英才教育をほどこし、親のサイボーグのような存在にしてしまうのは反対であるが。

ボクは親父の後を継ぐどころか、何となく肌合いが合わず、終生しっくりしない間柄だった。親父と胸襟を開いて酒を酌み交わしたこともない。親父が病の床につき、死ぬ前日にボクと話したいことが山ほどあったと言っていたと亡くなった後に聞いて、後悔の涙を流したが時すでに遅しであった。せめて一度でも酒を酌み交わしていたらと、しばしば思う。親父の後を継いで学部は違っても、たとえ大学が違っても学者になっていればどんなに喜んだだろうか。

親父の死後、親父がやりかけていた随筆集、「明治雑俎」を出版し、1年祭のときお配りした。ボクのせめてもの親孝行であった。

子がいくつになっても、親は親。米朝は米團治の落語をハラハラしながら聞いていたと思う。だが心配は無用だ。この日、米團治は古典落語「親子茶屋」を生き生きと演じて、満場の笑いと拍手喝采に包まれた。子は親のふところを離れ、今や大きく羽ばたこうとしているのだ。

■お知らせ■

日頃より、うずまさ君(太秦康紀)のビタミン・エッセーをご愛読いただきまして皆様には心から厚くお礼を申し上げます。今年1年間ありがとうございました。さて、2009年のスタートは、お正月をはさみますので1月はお休みをいただき、うずまさ君の新シリーズは3月からの連載開始とさせていただきます。新しい年に新しい思いと希望を抱いてスタートしたいものです。どうか読者の皆さまにとりまして新年が本当に良き年でありますように。


▼ お知らせ ▼

筆者:太秦康紀さんは、平成17年11月に3冊目となる本を出版しました。新風舎文庫「さらりー漫歩」。全国の書店で発売中です。
サラリーマンの喜び悩み、そして生きてゆく知恵と勇気、行動をユーモラスに鋭く描いております。ご自身の体験が底流に流れていますので、一種のドキュメンタリー作品としての側面も持っています。
札幌紀伊国屋書店の「話題の本」「新刊本」のコーナーに置かれています。またHBCラジオや読売新聞などですでに紹介されておりますので、一度手にとってご覧下さい。

「さらりー漫歩」著者::太秦康紀さん
「さらりー漫歩」
定価700円
(新風舎文庫)

太秦康紀HP http://www.rak3.jp/home/user/monkey69/

■筆者プロフィール
太秦 康紀 UZUMASA YASUNORI
1935年02月: サッポロで生まれる。
1958年03月: 北大法学部を卒業、4月に北海道銀行へ入行。
約28年間の銀行員生活を経て、1985年11月同行退職。
1985年11月: 医薬品問屋、(株)寿原薬粧の社長に就任。
1991年04月: 同業7社の合併によって誕生した(株)バレオの副社長に就任。
1996年06月: 同社常勤監査役に就任。
1999年04月: 再度の合併で社名は(株)ほくやくとなり、引き続き監査役。
2000年06月: (株)ほくやく監査役を退任。
2000年08月: 太秦事務所を設立、所長となる(経営コンサルタントを自称)

著作: ・しなやか散歩道(1995年2月 近代文芸社)
・しなやかれすとらん(2003年4月 北海道新聞社出版局)
・北海道新聞「朝の食卓」1998〜99年執筆
・さらりー漫歩(2005年11月 新風舎文庫)
その他: 家庭裁判所家事調停委員、(株)スハラ食品監査役
(株)芭里絵監査役などを勤めた。現在はTVコメンテーター、FMパーソナリティ、講演、文筆など気ままに活動中。
血液型 AB型、星座 うお座(たまにみずがめ座)、動物占いでは落ち着きのない猿。趣味は、映画鑑賞 格闘技鑑賞 ゴルフなど

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