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「五匹の猿を退治しろ!」から始まった好評のうずまさ君(太秦康紀)シリーズも早、5年。いよいよシリーズ5に突入です!これまで筆者の温かくも鋭い観察眼から紡ぎだされる言葉の海には、深遠な意味と大切な人生の存在が描かれてきました。自分以外の人やモノ、事柄を語ることで自己の一部を垣間見せてくれました。今シリーズでは、更にこれまで以上に自己と歩んでこられた人生の時間・ご自身のヒューマニティーを語ってくれそうな気がいたします。「厳しく、鋭く、暖かい目」うずまさ・ワールドにはあなたのこれからに必要な知恵と勇気があふれているはずです。新シリーズが、高校生、大学生、そして社会人のみなさんにとって少しでも人生の栄養になっていただければと願っております。隔月掲載の6回シリーズ『何故かボクはいつも時代の変わり目に立っていた』。どうぞご期待ください。

何故かボクはいつも時代の変わり目に立っていた

■1.弱虫、泣き虫少年 うずまさ やすのり

太秦 康紀

ボクの誕生日は昭和10年(1935年)2月19日、2・26事件が勃発した前の年だ。軍部が次第に台頭し、中国大陸がきな臭くなってきた頃だった。

ボクは逆子で生まれたらしい。普通は頭からこの世に出てくるのだが、足から出てくるのが逆子だ。生まれたときから世を拗ねていたのだろうか、ほとんど仮死状態で生まれてきたのだ。誕生にしてからが、あの世とこの世の境目だった。看護婦さんがボクの足を持ってぶら下げ、尻を引っぱたいたら、やっと産声を上げたとか。看護婦さんに感謝である。ボクの血液型はAB型だ。AでもBでもない、その中間。ちなみにボクの星座は魚座と水瓶座の境界線、占いの本によって魚座になったり水瓶座になったりする。境界線、この言葉がどうもボクの人生について回る。

ボクは一姫二太郎の長男としての誕生だったが、実は長女の下にもう一人姉がいた。彼女はボクの生まれる前に4歳でなくなったのだ。次女を失った悲しみの後に生まれた跡取り息子の誕生ということで、両親は大喜びしたらしい。大事に育てられたボクは完全な内弁慶、家ではいたずら小僧でも、一歩外へ出れば全くの意気地なし、弱虫の子供だった。

小学校に入学したのが昭和16年。時は正に第二次世界大戦、いわゆる大東亜戦争の始まった年だった。この年から小学校は国民学校と改称され、子供たちは「小国民」ということになった。戦時体制の始まりだ。ここでもボクは境界線に身を置かれたわけだが、まだ本人にその認識はない。「みんなで勉強嬉しいな、国民学校1年生」と歌いながら同級生と廊下を行進していた。

しかし学校でのボクはチビで意気地なし。先生に「ヨミカタ」(国語)の教科書を朗読しなさいと当てられても、泣きそうになり声が震えて読めない始末だった。ちなみに、前の年まで「サイタサイタ、サクラガサイタ」で始まった「ヨミカタ」の教科書は、ボクが入学した昭和16年から「アカイアカイ、アサヒアサヒ」に変わった。その次のページは「コマイヌサン ア、コマイヌサン ウン」というのだった。二匹の狛犬が一方は口を開け、他方は口を閉じている絵があった。これを説明しなさいといわれ、教壇の上で立ち往生したのもこの頃だ。先生はこの坊ちゃん育ちの弱虫を、一人前の「小国民」に鍛え上げねばと考えたらしい。以後も頻繁にボクは朗読などを当てられ、その甲斐あって、やがて朗読の上手い生徒として隣のクラスまで遠征するほどになった。標準語の両親の下で育ったボクは、元々朗読の素質があったのだ。後には大人になったらアナウンサーになろうかなと思ったことすらあった。その頃のボクはボーイソプラノでもあったので、学芸会ではよく独唱もさせられた。

こうして先生に鍛えられ、ボクはNHK札幌放送局の子供の時間に出て歌を歌ったり、玉砕したアッツ島の兵士を追悼する作文をNHKで読んだりするまでになった。しかし朗読や唱歌は上手かったが、基本的にはクラスの中で幼い引っ込み思案の子供であることに変わりがなかった。昭和10年2月生まれ、つまり早生まれということは、同級生の大半が昭和9年生まれということだ。中にはほとんど丸1年上という子供もいるのだから、ただでさえ晩熟のボクがクラスの中で幼いのも無理はなかった。昭和9年生まれは、昭和一桁世代である。その中にあって、昭和二桁のボクは、一桁のような二桁のような中途半端な存在なのである。

国民学校の高学年へと進むうちに、世の中はどんどん戦時色を深め、戦況は芳しくない方向に向かって行った。担任の先生も近所のおじさんも戦場に駆り出されていった。残った先生たちも軍国調に染まり、恐い顔でボク等を怒鳴りつけ、体罰を科すこともしばしばだった。「撃ちて死やまん」、「欲しがりません、勝つまでは」などという言葉が横行していた。防空演習は激しさを増し、学校へ行っても警戒警報のサイレンが鳴る中を駆け足で集団下校する日が多くなった。そして昭和20年8月、玉音放送の日が来た。その日は夏休みだったので、ボクは家の古いラジオでその放送を聞いた。聞き取りにくい放送で、よく理解は出来なかったが戦争に負けたことを知った。

その日を境に、戦時体制は戦後体制へ180度の転換を見せた。昨日まで恐かった先生が借りてきた猫のように優しくなった。日本は世界の一等国と教えられていたボク等は、今度は「日本は四等国だ」と教え込まれた。軍国調の教科書は、あちこち墨で塗りつぶされ真っ黒になった。

先生たちの態度の急変は、ボクに大人への不信感を植え付けさせた。やがてそれは権威、権力を簡単には信用しない批判的な目を育てて行った。何故かいつも時代の変わり目に身を置かれる中で、一見子供くさい外見にも関わらず、ボクの中で芽生えた懐疑的な目は、その後もボクの人生の中でしっかりと根を張って行った。そして何ごとも自分の中で一旦受け止め、自分なりの判断を下す習慣が次第に身につき、同時に前例に捉われないしなやかさも育って行ったのである。

■編集者から■
うずまさ君(太秦康紀)の新シリーズがいよいよ始まりました。隔月全6回の物語の始まりです。さて、早、師走、1年の時間というのは何と短いのでしょうか。でも、その短さ故、心惜しむことがあったとしても、新しい年にその思いを取り戻す機会が、又巡ってくることでもありますね。気を取り直してすぐに頑張れる利点もあるようです。とにかく、めげず、飽きず、粘り強く続けることです。ところで、新年1月はお休みを頂きまして、うずまさ君のその2回目は3月公開の予定です。また、2月からは、さかざき君(阪崎健治朗)の新シリーズ5も始まる予定です。読者にはこの1年のご愛読に感謝とお礼を申し上げます。どうか、新年が皆さまにとって佳き年になりますように。


▼ お知らせ ▼

筆者:太秦康紀さんは、平成17年11月に3冊目となる本を出版しました。新風舎文庫「さらりー漫歩」。全国の書店で発売中です。
サラリーマンの喜び悩み、そして生きてゆく知恵と勇気、行動をユーモラスに鋭く描いております。ご自身の体験が底流に流れていますので、一種のドキュメンタリー作品としての側面も持っています。
札幌紀伊国屋書店の「話題の本」「新刊本」のコーナーに置かれています。またHBCラジオや読売新聞などですでに紹介されておりますので、一度手にとってご覧下さい。

「さらりー漫歩」著者::太秦康紀さん
「さらりー漫歩」
定価700円
(新風舎文庫)

太秦康紀HP http://www.rak3.jp/home/user/monkey69/

■筆者プロフィール
太秦 康紀 UZUMASA YASUNORI
1935年02月: サッポロで生まれる。
1958年03月: 北大法学部を卒業、4月に北海道銀行へ入行。
約28年間の銀行員生活を経て、1985年11月同行退職。
1985年11月: 医薬品問屋、(株)寿原薬粧の社長に就任。
1991年04月: 同業7社の合併によって誕生した(株)バレオの副社長に就任。
1996年06月: 同社常勤監査役に就任。
1999年04月: 再度の合併で社名は(株)ほくやくとなり、引き続き監査役。
2000年06月: (株)ほくやく監査役を退任。
2000年08月: 太秦事務所を設立、所長となる(経営コンサルタントを自称)

著作: ・しなやか散歩道(1995年2月 近代文芸社)
・しなやかれすとらん(2003年4月 北海道新聞社出版局)
・北海道新聞「朝の食卓」1998〜99年執筆
・さらりー漫歩(2005年11月 新風舎文庫)
その他: 家庭裁判所家事調停委員、(株)スハラ食品監査役
(株)芭里絵監査役などを勤めた。現在はTVコメンテーター、FMパーソナリティ、講演、文筆など気ままに活動中。
血液型 AB型、星座 うお座(たまにみずがめ座)、動物占いでは落ち着きのない猿。趣味は、映画鑑賞 格闘技鑑賞 ゴルフなど

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