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「五匹の猿を退治しろ!」から始まった好評のうずまさ君(太秦康紀)シリーズも早、5年。いよいよシリーズ5に突入です!これまで筆者の温かくも鋭い観察眼から紡ぎだされる言葉の海には、深遠な意味と大切な人生の存在が描かれてきました。自分以外の人やモノ、事柄を語ることで自己の一部を垣間見せてくれました。今シリーズでは、更にこれまで以上に自己と歩んでこられた人生の時間・ご自身のヒューマニティーを語ってくれそうな気がいたします。「厳しく、鋭く、暖かい目」うずまさ・ワールドにはあなたのこれからに必要な知恵と勇気があふれているはずです。新シリーズが、高校生、大学生、そして社会人のみなさんにとって少しでも人生の栄養になっていただければと願っております。隔月掲載の6回シリーズ『何故かボクはいつも時代の変わり目に立っていた』。どうぞご期待ください。

何故かボクはいつも時代の変わり目に立っていた

■2.ボク等は実験用モルモット うずまさ やすのり

太秦 康紀

ボク等1年生の男女は、隊列を組んで広い講堂に入って行った。ところが迎える上級生は男ばかり。日頃女生徒に接したこともない彼等は、この校舎で始めて見る女生徒の姿に、床を踏み鳴らしたり奇声を発したり、それはちょっと異様な光景だった。

昭和22年4月1日、北海道立札幌西高等学校の入学式風景であった。学制改革によって男女共学の新制高校が出来る前、札幌には四つの公立高校があった。一高(後の南高)と二高(後の西高)が男子高、庁立高女(後の北高)と市立高女(後の東高)が女子高だった。この四つの高校の生徒を全部混ぜて、東西南北の地域ごとに再配分したのが男女共学の新制高校なのだ。ボク等が入学した昭和22年4月は、生徒を再配分する前の状態だったので、2年生、3年生はまだ古い体制のまま、つまり西高の場合は男子生徒ばかりだったのだ。上級生が男女共学になるのは、それから数ヶ月を待たねばならなかったのである。そういう意味では、高校の3年間を通じて男女共学だった純粋の新制高校生はボク等が第一期生だとも言える。

こうして高校入学も正に新旧時代の境目にいたボクだったが、これは中学入学の際にも言えたことだった。中学3年のボク等は、先生からこう言われた。
「来年、新制中学というのが出来るかもしれない。そうするとお前たちは試験を受けないで中学に入れる。だが、もしかすると新制中学が出来るのは、来年までに間に合わないかもしれない。もし間に合わないと受験があるから、そのつもりで受験勉強はしっかりやっておくように」

こういう場合、生徒たちは二つのタイプに分かれる。先生の言うとおり、新制中学が間に合わなかったら受験だからと、一生懸命受験勉強をするタイプ。多分無試験で中学に行けるだろうと高を括って受験勉強などしないタイプ。さて、ボクはどうだったかと言えば、もちろん後者。多分新制中学というのが出来るだろうと思って、全然受験勉強はしなかった。結果は幸い新制中学が間に合って、ボクは無事そこに無試験で入ることが出来た。万一新制中学が間に合わなかったら、きっとボクは受験に失敗して私立中学に入ることになっただろう。その頃はいい私立中学がなかったから、もしかしたら不良になっていたかもしれない。こうした中学の入学体験が、「(頑張らなくても)何とか上手く行くだろう」という、世の中を甘く見る癖を多少なりともボクに産み付けたような気がしないでもない。

高校入試のときも、この「何とか上手く行くだろう」の癖が頭をもたげてきて、余り受験勉強をしなかった。そして何とか上手く行って、公立高校に入学してしまった。ただし、後から調べてもらうと、かなり危ないギリギリのところで合格したようだった。それでも合格は合格、ボクは反省もせずのんびり高校生活を送り、更にろくに受験勉強もせずに大学の受験をした結果、今度は「何とか上手く」行かずに見事に落第するのだが、これは後の話である。

さて高校生活に戻ると、男女共学になったとはいえ、元々男子あるいは女子高校生で已む無く男女共学になった上級生と、根っから男女共学で育った民主主義の申し子のような我々1年生とは明らかに異質なものがあった。男子上級生にはまだバンカラの気質が残っており、文化的(?)な1年生とは相容れないものがあったのだ。例えば応援歌の練習をするからと上級生から集合の号令がかかっても、我々1年生は極めて非協力的、消極的で上級生を怒らせた。ところが校内弁論大会などになると、1年生は俄然張り切ってここでも上級生と不協和音を生じるのだった。

当時のボクは依然としてチビで、皆の後ろでちょろちょろしており、怒り狂う上級生を見て恐いなあと思い、それに敢然と立ち向かう1年生代表を見てすごいなあと感心している、言わばどうでもいい存在だった。どうしても時代の変わり目、境目にはこうした世代間紛争的なものが起きるのは避けられず、そういう混乱の中でその他大勢は右往左往するのだが、当時のボクはまだその他大勢の中でも取るに足らない存在だったのである。上級生には、どう見てもチンピラとしか見えないような恐いのもいたし、上下関係に煩い運動部の連中もいた。そうかと思うと左翼かぶれの当時で言うと共産党細胞の一団もいたりして、それはそれで何だか恐い存在だった。そういう多種多様な上級生を見ながら多感な高校時代を送ったことが、ボクが人を見る目を養うのに少しは役立ったかもしれないのである。

いずれにしても、こと教育に関する限り、ボク等は正に実験用のモルモットのような存在だった。幼い頃は軍国教育を受け、敗戦によって急転直下アメリカ仕込みの民主主義教育へ、そして出来たばかりの新制中学、更に新制高校へと本人の意思に関係なしに様々な教育制度に組み込まれて行った。こうした体験の中から、ボクの持つしなやかさ、したたかさが育まれて行ったのかもしれない。


▼ お知らせ ▼

筆者:太秦康紀さんは、平成17年11月に3冊目となる本を出版しました。新風舎文庫「さらりー漫歩」。全国の書店で発売中です。
サラリーマンの喜び悩み、そして生きてゆく知恵と勇気、行動をユーモラスに鋭く描いております。ご自身の体験が底流に流れていますので、一種のドキュメンタリー作品としての側面も持っています。
札幌紀伊国屋書店の「話題の本」「新刊本」のコーナーに置かれています。またHBCラジオや読売新聞などですでに紹介されておりますので、一度手にとってご覧下さい。

「さらりー漫歩」著者::太秦康紀さん
「さらりー漫歩」
定価700円
(新風舎文庫)

太秦康紀HP http://www.rak3.jp/home/user/monkey69/

■筆者プロフィール
太秦 康紀 UZUMASA YASUNORI
1935年02月: サッポロで生まれる。
1958年03月: 北大法学部を卒業、4月に北海道銀行へ入行。
約28年間の銀行員生活を経て、1985年11月同行退職。
1985年11月: 医薬品問屋、(株)寿原薬粧の社長に就任。
1991年04月: 同業7社の合併によって誕生した(株)バレオの副社長に就任。
1996年06月: 同社常勤監査役に就任。
1999年04月: 再度の合併で社名は(株)ほくやくとなり、引き続き監査役。
2000年06月: (株)ほくやく監査役を退任。
2000年08月: 太秦事務所を設立、所長となる(経営コンサルタントを自称)

著作: ・しなやか散歩道(1995年2月 近代文芸社)
・しなやかれすとらん(2003年4月 北海道新聞社出版局)
・北海道新聞「朝の食卓」1998〜99年執筆
・さらりー漫歩(2005年11月 新風舎文庫)
その他: 家庭裁判所家事調停委員、(株)スハラ食品監査役
(株)芭里絵監査役などを勤めた。現在はTVコメンテーター、FMパーソナリティ、講演、文筆など気ままに活動中。
血液型 AB型、星座 うお座(たまにみずがめ座)、動物占いでは落ち着きのない猿。趣味は、映画鑑賞 格闘技鑑賞 ゴルフなど

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