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「五匹の猿を退治しろ!」から始まった好評のうずまさ君(太秦康紀)シリーズも早、5年。いよいよシリーズ5に突入です!これまで筆者の温かくも鋭い観察眼から紡ぎだされる言葉の海には、深遠な意味と大切な人生の存在が描かれてきました。自分以外の人やモノ、事柄を語ることで自己の一部を垣間見せてくれました。今シリーズでは、更にこれまで以上に自己と歩んでこられた人生の時間・ご自身のヒューマニティーを語ってくれそうな気がいたします。「厳しく、鋭く、暖かい目」うずまさ・ワールドにはあなたのこれからに必要な知恵と勇気があふれているはずです。新シリーズが、高校生、大学生、そして社会人のみなさんにとって少しでも人生の栄養になっていただければと願っております。隔月掲載の6回シリーズ『何故かボクはいつも時代の変わり目に立っていた』。どうぞご期待ください。

何故かボクはいつも時代の変わり目に立っていた

■4.君はその他大勢の一人でもいいのか うずまさ やすのり

太秦 康紀

大学生活も3年生後半ともなると就職問題、今で言う就活が話題の中心になってくる。昭和30年代前半の当時も、結構な就職難だった。今の若い人は就職に当たって、自己実現だとか自分を活かせる仕事だとかを考えるらしいが、その頃のボクはどこでも就職出来ればいいぐらいに考えていた。ただ自分が一人息子であることから、将来親の面倒は見なければならない、そのためには出来れば地元企業がいいのだがくらいのことは考えていた。

ここで「自己実現」とか「自分を活かせる仕事」についてちょっと触れておくと、ごく少数の秀でた才能を有する人ならいざ知らず、大学を出たての若者がそんなことを考えるのは何十年も早いとボクは思っている。まだ自分の何たるかを知らず、社会の何たるかも知らない若者は、まず社会に身を投じて己を磨くことから始めるべきだ。くちばしの黄色い若者が、自己実現などと言うほど、この社会は甘くないのだ。そんな甘いことを考えていると、夢と現実の狭間で小突き回され、ボロボロになるのが落ちだと思うのだ。極端に言えば、自己実現などを考えるのは、定年退職後でも十分だとさえボクは思うのである。

さて話を元に戻そう。ごく平凡な一学生に過ぎなかったボクは、採用してくれればどこでもいいと思っていた。ただ上記の通り、将来親の面倒を見るという意識があったので、出来れば安定したところと考え、その結果銀行が浮かんできた。丁度いいことに、ボクの家の向かいに北海道銀行の頭取の公宅があった。ボクの父と道銀の頭取は隣人としてのお付き合いがあった。平たく言えば、いわゆるコネがあった。それも最強のコネだ。こうしてボクは道銀への入行が決まったのだ。もちろん筆記試験、面接を経て採用されたのだから、コネのせいかどうかは分からないが、コネが全く関係ないと言えば嘘になるだろう。

北海道銀行は、昭和26年創業の新設銀行である。ボクが入行したのが昭和33年4月、道銀の本店が開店したのが昭和26年3月だから、まだ出来てから7年しか経っていない極めて新しい銀行だったのである。本店は札幌市の南2条西2丁目にあり、試験を受けに行く時どこにあるのか分からなかったぐらいだった。本店の建物もおんぼろの古い建物を繋ぎ合わせた目立たないものだった。ただ新設銀行だけに、そこで働く行員は若い人が多く、創業の気風が未だ旺盛で、これから大きくなって行こうという意気盛んな銀行だった。こうして、就職でも「北海道の未来と生きる」を旗印にした若い銀行に身を投じることになったのだ。

銀行に入ったボクは、本店営業部の為替係というところに配属された。2年目には計算係に係替えになり、更に3年目には本部の審査部という部署に転勤になった。この審査部には5年いたが、後に昭和47年、再度審査部に行き、退職するまでの13年間をここで過ごしたので、28年間の銀行員生活の中、実に通算18年を審査部で過ごしたことになる。

ところで本店営業部、審査部と歩む中に、社会人として生きていくのなら、その他大勢でいては駄目だなということに気がついた。学生時代は、その他大勢でもどうということはない。社会人としても、生涯その他大勢でもいいやと思うのならそれでもいい。だが自分の人生をより充実したものにしたいのなら、その他大勢に甘んじていては駄目なのである。そう気がついて以後、ボクはなるべく自分を目立たせること、自分を売り込んでいくことを意識するようになった。自分を目立たせると言っても、もちろん奇抜なことをやって目立つという意味ではない。その他大勢の中に、キラっと光るのが混じっているなと気付いてもらうことだ。そのためには、自分を磨かなければならない。多少なりとも光る石にならなければ、沢山ある石ころの中で目立つことは出来ない。幸いにして、道銀は若い銀行だ。行員が伸び伸びと活動できる基盤があった。初代頭取の島本さんは、「自学の風」ということをよく言われた。「人に教えてもらうことには限りがある、しかし自分で学ぶことには限りがない」と説き、行員教育の基本方針は「自学の風の養成」にありとされた。自分を磨くには最適の環境だったのだ。

もう一つの自分を売り込んでいくということは、ゴマをすって上司に取り入ることではない。困難な仕事を嫌がらず、積極的に挑戦する姿勢だ。人間はともすると楽をしたいので、嫌な仕事は出来れば避けたいと思う。しかしそれでは、その他大勢に埋没するばかりだ。自分を鍛えてくれるのは、人の嫌がる仕事に積極的に取組むことなのだ。そしてそれをやり遂げることが結果的に、自分を売り込むことになるのである。

お恥ずかしい話だが、ボクは北海道銀行に入るまで、この銀行がどんな銀行かまるで知らなかった。戦後全国で新たに新設された銀行の一つだということすら知らなかった。インターネット一つで会社情報を見ることの出来る昨今には考えられないことだ。何も知らずに採用された北海道銀行だったが、ここでもボクは時代の流れの中で新たに誕生した銀行に身をゆだねて、自分を鍛えて行くことになったのである。


▼ お知らせ ▼

筆者:太秦康紀さんは、平成17年11月に3冊目となる本を出版しました。新風舎文庫「さらりー漫歩」。全国の書店で発売中です。
サラリーマンの喜び悩み、そして生きてゆく知恵と勇気、行動をユーモラスに鋭く描いております。ご自身の体験が底流に流れていますので、一種のドキュメンタリー作品としての側面も持っています。
札幌紀伊国屋書店の「話題の本」「新刊本」のコーナーに置かれています。またHBCラジオや読売新聞などですでに紹介されておりますので、一度手にとってご覧下さい。

「さらりー漫歩」著者::太秦康紀さん
「さらりー漫歩」
定価700円
(新風舎文庫)

太秦康紀HP http://www.rak3.jp/home/user/monkey69/

■筆者プロフィール
太秦 康紀 UZUMASA YASUNORI
1935年02月: サッポロで生まれる。
1958年03月: 北大法学部を卒業、4月に北海道銀行へ入行。
約28年間の銀行員生活を経て、1985年11月同行退職。
1985年11月: 医薬品問屋、(株)寿原薬粧の社長に就任。
1991年04月: 同業7社の合併によって誕生した(株)バレオの副社長に就任。
1996年06月: 同社常勤監査役に就任。
1999年04月: 再度の合併で社名は(株)ほくやくとなり、引き続き監査役。
2000年06月: (株)ほくやく監査役を退任。
2000年08月: 太秦事務所を設立、所長となる(経営コンサルタントを自称)

著作: ・しなやか散歩道(1995年2月 近代文芸社)
・しなやかれすとらん(2003年4月 北海道新聞社出版局)
・北海道新聞「朝の食卓」1998〜99年執筆
・さらりー漫歩(2005年11月 新風舎文庫)
その他: 家庭裁判所家事調停委員、(株)スハラ食品監査役
(株)芭里絵監査役などを勤めた。現在はTVコメンテーター、FMパーソナリティ、講演、文筆など気ままに活動中。
血液型 AB型、星座 うお座(たまにみずがめ座)、動物占いでは落ち着きのない猿。趣味は、映画鑑賞 格闘技鑑賞 ゴルフなど

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