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「五匹の猿を退治しろ!」から始まった好評のうずまさ君(太秦康紀)シリーズも早、5年。いよいよシリーズ5に突入です!これまで筆者の温かくも鋭い観察眼から紡ぎだされる言葉の海には、深遠な意味と大切な人生の存在が描かれてきました。自分以外の人やモノ、事柄を語ることで自己の一部を垣間見せてくれました。今シリーズでは、更にこれまで以上に自己と歩んでこられた人生の時間・ご自身のヒューマニティーを語ってくれそうな気がいたします。「厳しく、鋭く、暖かい目」うずまさ・ワールドにはあなたのこれからに必要な知恵と勇気があふれているはずです。新シリーズが、高校生、大学生、そして社会人のみなさんにとって少しでも人生の栄養になっていただければと願っております。隔月掲載の6回シリーズ『何故かボクはいつも時代の変わり目に立っていた』。どうぞご期待ください。

何故かボクはいつも時代の変わり目に立っていた

■5.社長になってしまった私 うずまさ やすのり

太秦 康紀

銀行に入って、本店営業部という部署で働くようになったとき、ボクは上司の部長代理を見て不遜にも内心これくらいなら直ぐなれそうだなと思った。だから入行間もなく、職員組合による意識調査というのがあって、「あなたはどの位の地位まで行けると思いますか」という質問項目があったとき、「常務ぐらいなら行ける」というところに丸をつけた。これが如何に不遜な考えであるかは、後に嫌というほど知らされることになるのだが。

それでも30そこそこで調査役という肩書きがつくまではトントン拍子に進んだ。当時、調査役というのは部長代理と同格だったから順調な出世だった。だが、その後東京支店の支店長代理になった辺りから、それまで歩んできた直線コースから突然迷路に入り込んでしまった。それからの暫くの間、ボクは迷路をさまよい歩き、大きな挫折を経験し、谷底から必死で脱出出来たのはその後7〜8年も経ってからだった。迷路からようやく表通りに戻り、その数年後いよいよ役員を目指すコースに差し掛かろうというとき、突然ある医薬品問屋から社長をやって欲しいという話が来た。この辺りの経緯については、ボクの最初のシリーズ、「五匹の猿を退治しろ」の第4講、「動か猿では結果は出ない」に詳しく述べられているので参照ねがいたい。

子供の頃、母親の婦人雑誌の付録に占いの本がついていた。その占いによると、ボクは「統領運」があるということだった。別に占いを信じているわけではないが、この占いはずっとボクの記憶の底に残っていた。だが銀行に入ってみると、ここの頭取は歴代大蔵省の天下りだった。天下りが全て悪いという訳ではなくて、初代頭取などはその後ボクが出会った多くの経営者の中で最高の人物だったが、ともかく頭取は歴代大蔵省OBだった。恐らく将来もずっと天下り頭取は続くだろうと思われた。大蔵省は一旦握った天下り先は先ず手放さないと当時は思われていたので、これはいくら頑張っても頭取になるのは不可能だな、占いも当てにならないやと思ったのである。だが思いがけなく、棚から牡丹餅のように社長の椅子が転がり込んできた。それは年商70億ぐらいの中小企業ではあったが、社長は社長だ。頭取ではないが、やっぱりボクには統領運はあったのだ、占いも馬鹿にならないなとボクは思った。もちろん本気になって思ったわけではないが。

とにかくボクは銀行員という安全な道を捨てて、無謀にも社長の道を選んだ。右も左も分からない業界に飛び込み、全く知らない会社で経験のない社長業についた。ボクの入った会社は、医家向け(病院向け)の医薬品、薬局向けの薬品、それに日用雑貨を扱う卸業だったが、医科向け医薬品は一部の支店でしか取り扱っておらず、主要な扱い商品は薬局向けの薬品、日用雑貨だった。折りしも時代は大きく変わろうとしていた。得意先は従来の薬局に代わってドラッグストアという新しい業態が台頭しており、時代に敏感な一部の薬局はボランタリーチェーンを組織してこれに対抗しようとしていた。ボランタリーチェーンというのは、小売店が連帯して共同仕入れなど経営合理化を図る組織である。従って会社の取引先は古くからある個々の薬局、新興のドラッグストア、そしてその中間に位置するボランタリーチェーンに所属する薬局の三者に分かれたことになる。わが社は今後どのグループと積極的に取組んで行くべきかの選択を迫られることになったのである。ボクの会社は100年近い歴史を持つ老舗だったので、古くからある薬局を主な得意先としていた。しかし時代は新しい業態への移行を後押ししているように思われた。もしこれらの新興業態へ販売のスタンスを移せば、従来からの得意先を失うことになりかねない。どの分野に重点を置くべきか、それは新米社長にとって極めて難しい選択だったが、ボクは否応なしにどの道を行くかの判断を迫られる局面に立たされたのである。ボクは悩んだ末に、従来からの古い個々の薬局を大切にしつつ、ボランタリーチェーンにも踏み込んでいくという戦略を取った。新興のドラッグストアは納入条件が厳しすぎて、わが社の体力を考えた場合、いきなりそちらにスタンスを移すことは無理と判断したのだ。それに古くからの薬局は、ドラッグストアを目の仇にしていたので、そちらに販売スタンスを移すことは間違いなく古くからの大事な得意先を失うことに繋がるのだ。時代の変わり目には、トップは常に難しい、厳しい判断を迫られるものなのだ。

付言すると、その後の時代の変遷の中で、古い薬局はだんだん姿を消し、ボランタリーチェーンも過渡期の存在として姿を消し、ドラッグストア全盛の時代へと向かうことになる。一方では病院の処方箋薬を扱う調剤薬局が急拡大し、更にはコンビニでも大衆役を扱う時代がやってくるのだが、これらはずっと後の話である。

ボクは転職する時、万一経営に失敗すれば、社長の地位はもちろん、サラリーマンとしてそれまで作ってきた多少の財産も、名誉も全てを失うという覚悟をしていた。それどころか自分も含め社員の家族まで路頭に迷わせることになってしまうのだ。逆に言えば、だから絶対失敗は許されないと思っていた。そのボクにとって上記の事例などは試練のほんの序の口であり、経営上の難問はその後も次々と押し寄せてボクを悩ませ、気の休まる暇もなかったのである。だがそれにも拘わらず、振り返ってみれば、社長を務めたこの時期がボクの人生で最も楽しい時期でもあった。全てのことが、自分の決めた通りに動いていくということは恐ろしいことではあるが、同時にこんなに面白いことはない。しかも社長としての交際範囲はそれまでと比べ物にならない広がりを見せた。広さばかりでなく、交際する層がまるで変わったのだ。相手は社長、専務、常務クラスばかり、その中には例えば武田薬品、中外製薬、資生堂、ライオンなど超一流企業のトップが含まれるのだ。経営上の苦労さへなければ、全く辞められない仕事であった。こうしてボクは苦楽ともども様々な経験を重ね、人間としても一皮向けると同時に、自分の中の秘められていた才能が次々開花して、銀行員ではとても考えられない新しい人生が開けて行くのを体験したのであった。


▼ お知らせ ▼

筆者:太秦康紀さんは、平成17年11月に3冊目となる本を出版しました。新風舎文庫「さらりー漫歩」。全国の書店で発売中です。
サラリーマンの喜び悩み、そして生きてゆく知恵と勇気、行動をユーモラスに鋭く描いております。ご自身の体験が底流に流れていますので、一種のドキュメンタリー作品としての側面も持っています。
札幌紀伊国屋書店の「話題の本」「新刊本」のコーナーに置かれています。またHBCラジオや読売新聞などですでに紹介されておりますので、一度手にとってご覧下さい。

「さらりー漫歩」著者::太秦康紀さん
「さらりー漫歩」
定価700円
(新風舎文庫)

太秦康紀HP http://www.rak3.jp/home/user/monkey69/

■筆者プロフィール
太秦 康紀 UZUMASA YASUNORI
1935年02月: サッポロで生まれる。
1958年03月: 北大法学部を卒業、4月に北海道銀行へ入行。
約28年間の銀行員生活を経て、1985年11月同行退職。
1985年11月: 医薬品問屋、(株)寿原薬粧の社長に就任。
1991年04月: 同業7社の合併によって誕生した(株)バレオの副社長に就任。
1996年06月: 同社常勤監査役に就任。
1999年04月: 再度の合併で社名は(株)ほくやくとなり、引き続き監査役。
2000年06月: (株)ほくやく監査役を退任。
2000年08月: 太秦事務所を設立、所長となる(経営コンサルタントを自称)

著作: ・しなやか散歩道(1995年2月 近代文芸社)
・しなやかれすとらん(2003年4月 北海道新聞社出版局)
・北海道新聞「朝の食卓」1998〜99年執筆
・さらりー漫歩(2005年11月 新風舎文庫)
その他: 家庭裁判所家事調停委員、(株)スハラ食品監査役
(株)芭里絵監査役などを勤めた。現在はTVコメンテーター、FMパーソナリティ、講演、文筆など気ままに活動中。
血液型 AB型、星座 うお座(たまにみずがめ座)、動物占いでは落ち着きのない猿。趣味は、映画鑑賞 格闘技鑑賞 ゴルフなど

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